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No.32

update.2017.06.27

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新入生の皆さんは、そろそろ学校生活に慣れた頃でしょうか?
キャンパスにも慣れました?いろんな建物や施設がキャンパスにあることに気づいたかな?

京大の中には、もう何年も京大で過ごしている私達ですら、
なんでこんなものがここにあるの?この施設何に使っているの?
なんて思うくらい施設がたくさんあるんですよ。

過去のザッツでもいろいろな施設を紹介していますので、
ぜひぜひ見てみてくださいね。

そんないろんな施設を見て歩くのも、京大ならではのキャンパスの楽しみ方の一つ。
ぜひぜひ、キャンパスマップを持って探検に出てみてください!
(マップにも載っていない謎の「何か」を見つけるのも楽しいですよ)

ということで、今回のザッツは人気企画の一つ「施設探訪」です。
医学部構内でひときわ目を引く淡いグリーンのレトロな建物、
「基礎医学記念講堂・医学部資料館」!
どこにあるか知っていますか?

この建物は明治35年(1902年)に京都帝国大学の解剖学教室講堂として竣工された
医学部系統解剖講義室(旧解剖学講堂)なのだそうです。
京都大学歴史的建造物にも指定されている貴重な建物なんだそうです。

中には何があるんだろー?って気になりますよね。

老朽化により長い間使われないままだったこの建物が、
2014年2月に、「基礎医学記念講堂・医学部資料館」として生まれ変わった!
とのことで建物マニアの広報Sが行ってきましたよ!

「基礎医学記念講堂・医学部資料館」ってどんなとこ

この建物は木造平屋建て(寄棟造り桟瓦葺)で、京大で最も古い建築物。
京都大学歴史的建造物に指定されています。
以前は学生の講義等にも使用されていましたが、老朽化のため近年は使用されぬまま、
外観だけが維持されていました。
設計は、京大の建築に多大な功績を残した山本治兵衛によるもの。
細部に趣のある建物であったことから、できる限り昔のままの意匠を忠実に復元して、耐震を含めた改修を施し、
「基礎医学記念講堂・医学部資料館」として平成26年(2014年)2月に生まれ変わりました。
現在では、資料館としてだけでなく、学生の講義やさまざまな行事、公開講座などにも使用しています。
(資料館の見学は完全予約制です。詳しくはこちら

中に入ってみよう!

それでは早速GO!
案内してくださったのは、萩原正敏館長、小泉昭夫副館長、そして施設部職員の菊本恵二さんです(取材当時)。医学研究科の歴史に詳しい先生方の説明付で、ツアー開始です!


写真説明:左から、小泉副館長、萩原館長、菊本さん

まずはエントランスから。

入り口で出迎えてくれるのは、第7代総長の荒木寅三郎先生の胸像と、先生による「不失其正」の書です。
なんだかいきなり重厚感が満載です。京大にありがちな胸像にいたずらなんか到底できない雰囲気です。

  • 第7代総長の荒木寅三郎先生の胸像
  • 「不失其正」とは、「常に物事の真理と本質を見極めて真摯に正しい道を進むべきである」という戒めの言葉。この書は、長らく医学部長室に飾られていたそう。
  • 歴代の文化勲章受章者、文化功労者選出者の紹介パネル。

基礎医学記念講堂(階段教室)

エントランスを抜け、館内を進んですぐ左手にあるのが、広く開放的な基礎医学記念講堂(階段教室)です。
ここは一般講義室として再生。当時の面影を残しつつも、最新の機器を完備して、現代的な講義機能をもたせているそうです。
教室をぐるりと取り囲む形で大きな窓があり、とても明るく、当時もこの窓からの眺めは最高だったとか。
当時の雰囲気を醸し出すこの教室は、公開講座等で今も利用されていて、参加した一般の方にもとても喜ばれるそうです。
教室、ホント素敵です。ここで講義とか受けられたら、それだけでテンション上がりそうです。

  • シャンデリアは、創立当初のものは既になくなっていたため、人文科学研究所図書室にあったものを寄贈してもらったそうです。雰囲気がいい感じでマッチしてますよね。その他の机などは劣化が激しかったため、すべて新しくなっています。
    (詳細は以下の「ドラマチック!シャンデリアの奇跡」参照)
  • 手すりは、当時の部材を取り外して補修し、再現されています。色も当時に近い雰囲気なのだそうです。
  • 大きな窓からは明るい光が差し込み、教室全体が緑に包まれるよう。今は耐震工事のため、窓に×枠がついているのが残念ですけど・・・

階段教室の裏側では歴史資料を展示

階段教室の裏側(教室下の通路だったところ)は、医学研究科の歴史資料の展示スペースになっています。
その一部はこんな感じ!

  • テーブル型心電図(だそうです)。
    大正15年に神戸の洋服商「柴田音吉氏」によって寄贈された、ケンブリッジ社製の心電図。パッと見ただけでは心電図とはわからないですね・・・
    結構でかいです。
  • 当時の心電図の使用説明書。現在の心電図とはまったく違う仕組みです。
    なんだかちょっと怖いです。。
  • このタッチパネルに映し出されている古い写真は、OBの方から寄贈してもらったもの。当時を懐かしむOBの方も多いそうです。
  • 日本での産婦人科黎明期に作られた新設の産婦人科病棟にシンボルとして飾られた貴重な母子像(芸術院会員 斉藤素厳 制作)。斉藤素厳氏といえば、実は、時計台記念館正面玄関上部に掲げられているブロンズのレリーフ「雲」も同氏作。こちらも京大を代表するシンボルの一つです。
  • 天井は医学部年表になっており、設置されているベンチで座りながら見られるつくり。建物の構造上、部分的に天井がへこんでいるところなども、講堂ならではの風情です。

資料コーナーには、貴重な書物や歴代の先生方が残したノートなど、京大医学部の歴史を物語る資料がずらり。
当時は、現在のような教材(デジタル化したものとか)はないので、教材を作る先生も、ノートを取る学生も大変だったでしょうね。(そのためか、画才のある先生が多いような・・・)

  • 解体新書!(複製)
    我が国医学史上最重要貴重書の一つ。解体新書(知ってますよね?)が「初刷りか後刷りか?」を判断する上で手がかりとなるのが「出版元住所」。それが「室町二丁目」とあるものと「室町三丁目」とあるもの、ともに揃っているのはここだけ!(原本は医学図書館に収蔵)
  • 野口英世学位論文(複製)
    蛇毒の研究をしていた野口英世が、なぜ感染症研究の権威になったのか・・・?この論文を読めば、感染症治療に蛇毒を生かそうとしていた経緯などが読み取れるそう。(原本は附属図書館に収蔵)
  • 当時の学生ノート
    とにかくきれい!そしてものすごく細かい!ドイツ語と日本語の両方で書かれています。当時はすべて手描きゆえ、医学生は絵もうまい人が多かったそう。見習わないと。

当時使われていた器具や薬品などが陳列されている展示ケースもありました。現在ではあまり見られないものばかり。

  • 小泉副館長いわく「現在では全く違っているものもあれば、当時からほとんど変わらないものもあるなあ」。
  • 液体の薬は本物が入ってる!左から、薄膜液、接着液、被膜液。
  • 「現場指紋器」今ではデジタルになっているものも、当時はこんなアナログだったのですね・・・
  • 生体肝移植用の手術器具。現在では小型化されたものも多いですが、今でも変わらぬ形状で使われているものも。すべて1点モノのオーダーメイドのため、とても貴重なものだそうです。
  • 山中教授と高橋講師のディスカッションメモ。2005年にiPS細胞の樹立に成功した、まさにその瞬間の貴重な資料。樹立が確認され、次の実験段階についてを記されています。
    (「やはり、きっちりと残すことが大事!」と小泉副館長)
  • あら?これは何かの石碑か?と思ったら・・なんと、実際に使われていた解剖台でした!
    開学以来、昭和56年まで使われていた大理石製の解剖台。病理解剖の第一例は、明治34年に病理学教室の初代教授の藤浪鑑先生の執刀で行われました。この解剖台で、藤浪先生自身はじめ、たくさんの病理学の諸先生方も実際に解剖をされたそうです。
  • 京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑(模型)。広島への原子爆弾投下の後、診療、調査研究に赴いた調査班が、滞在先の大野陸軍病院で枕崎台風による山津波に襲われ、医学部・理学部の教官・学生11名が多くの患者と共に犠牲となりました。その冥福を祈るために、昭和45年、現地に記念碑を建立し、毎年9月には慰霊祭を行っています。

担当者にお伺いしました。改修にまつわるあんなこと、こんなこと。

床下からは、なんと人骨が、、、

旧解剖学講堂は、長い間使われぬままであったこともあり、
着工時には床下(階段下の収納スペース)から、予期せぬいろんなものが出てきたそう。
中には、なんと人骨まで・・・。と思いきや標本でした。
とにかく、いろんなものが次々と出てきて、まずはそれらを片付けるところから・・・のスタートだったとか。

  • 改修前の床下(階段下の収納スペース)はこんな状態・・・。
  • 改修前の階段裏(現在の医学部資料館)。こちらも完全に物置状態でした。
  • 当時の講堂床下図面

ドラマチック!シャンデリアの奇跡
階段教室の電灯は、明治期はシャンデリアでしたが、その後は蛍光灯になっていました。
改修するにあたり、当時の雰囲気を再現するため、何とかしてシャンデリアをつけたい!と再利用できるものを探したそう。
すると偶然のタイミングで、改修工事中の人文科学研究所に、ちょうど破棄しようとしているシャンデリアがあるという情報をキャッチ。「とりあえず捨てずにとっておいて!」とお願いし、後日現物を見に行ったところ・・・
まさに、イメージもサイズもぴったり!数もちょうど必要な3つ!
これは何かの巡り合わせなのでは・・・と思わずにいられなかった興奮エピソードだそうです。

  • 改修前の階段教室。電灯は蛍光灯です。
  • 現在の階段教室。もとからここに備えつけられていたかのような一体感
  • なんということでしょう。
    イメージもサイズもぴったり!アンティークな雰囲気がとても素敵。

ゆずれない!机と椅子へのこだわり!

改修前の机と椅子は、当時の学生の体格に合わせたものだったので、改修を機に実情に合うように作り替えることに。
そこで、まず既製品の固定机を当たってみたものの、なかなか空間の雰囲気に合うものが見つからない・・・。昔の机には立派な木製の幕板が付いていて、これが階段教室の雰囲気を大きく決めていました。そこで、造り付けで幕板のある木製机を持つ階段教室が他にないかとあれこれ探していたところ、某大学に有名建築家が設計した昭和初期のもの(復元)があるという情報をゲット!1日がかりで寸法などを調べ上げ、写真を撮り、そのデータを設計に反映。それをもとに大工さんが一つ一つ作り、完成したのが今の机と椅子なんだそう。このような徹底したこだわりがあってこそ、改修後の今でも当時の雰囲気が息づいているんですね!

  • 改修前の机と椅子。これは確かに狭い・・・。

外壁の色にまつわる、あわやのエピソード
改修着手当時、旧解剖学講堂の外壁の色は、色でいうと「白」だったそう(写真)。
ところが、当時を知る先生方から、「創立当初の色は、白ではなく、淡いグリーンだった!」との証言があり、早速検証開始。
古い写真は残っているものの、モノクロ写真しかなく色まではわからない・・・
何とかして、当時の色がわからないものか・・・
外壁は繰り返しの塗り替えで、当時の色が残っている部分はほとんどなかったのですが、
建物中を調べたところ、軒裏の板と板の間に塗り替えられず当時のまま残っていた「淡いグリーン」の部分を発見。
その色を頼りに、何パターンかのサンプルを制作し、医学部長はじめ当時を知る先生方にジャッジをしてもらい
「これだ!」と決まったのが今の色。
当時を知る先生の証言がなかったら、今頃は真っ白な建物になってたかもしれません・・・
改修に関わった皆さんの想いにはただただ驚かされます。

  • 改修前の外壁。たしかに、真っ白です。

取材を終えて

いかがでしたか?今回の施設探訪。

改修作業でのお話を聞くと、やはり、その当時のものはできるだけ残して、
次の世代に受け継いで行くことが大切なんだなぁと思いました。
歴史そのものが刻まれているわけですものね。
貴重な資料と歴史がいっぱい詰まったこの建物、今度ぜひ訪れてみてくださいね。
京大だからこそできる、キャンパスの楽しみ方の一つですよ。

京大の中には、調べてみると、まだまだ謎の多い施設が出てきそうです。
見つけたら、また突撃してきたいと思います!

ではまた次回の施設探訪で!