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No.150

update.2024.03.27

最先端の研究開発×社会の科学的リテラシー涵養!研究と教育の両輪を回す「Nプロジェクト」

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複合原子力科学研究所の中村秀仁助教は、昨年春、「Nプロジェクト」なる研究教育活動をスタートさせました。なんでも、このプロジェクトでは、大阪市内にある大阪高等学校と協力し、ごく普通の高校生に「先端科学」を体感してもらっているとのことなのですが…。いったいどのような取り組みなのでしょうか?プロジェクトの活動、そして中村先生の研究に迫りました。

文系1400名を含めた2116名の生徒と教員150名を、先端科学の世界へ

――かなりユニークな取り組みをされているとうかがったのですが…、まずは「Nプロジェクト」の概要について教えてください。

「舞台となっている大阪高校は、私の母校なんですよ。教頭先生が『中村先生が発案されたプロジェクト』ということで、私のイニシャルを取って『Nプロジェクト』と職員会議で紹介されたのが、いつの間にか定着し、正式名称になってしまいました(笑)。その活動内容は、文系1400名を含めた2116名の生徒と教員150名に対して、先端科学を通して科学へのワクワク感を伝えようという試みです」

高校入学直後のオリエンテーションから科学の魅力が伝わるよう工夫されたという

――プロジェクト名は先生のイニシャルでしたか!(笑)しかし、中村先生は複合原子力科学研究所の所属ですが、理系の生徒が対象というわけではなく、むしろ文系の生徒のほうが多いのですか!?

「いつの日か『科学に理解ある社会』を実現したいと考えているのですが、そのためには社会の7割を占めると言われる文系の方々の理解が欠かせません。私は2006年から中高生を対象とした科学教室を本土最東端である北海道根室市から全国縦断しながら行ってきました。その累計12,000を超えるアンケート結果は、いずれも高い評価をいただいていましたが、一昨年にふと、参加者の多くが科学に興味がある理系志望の生徒であったことに気づきました。文系生徒の参加がほとんど無かったというデータに大きな衝撃を受けました。そこから、科学に特別な関心を寄せていない方々にも、科学の魅力を伝える仕組みをつくる研究をしようと思い立ったのです。Nプロジェクトを始める前に1年間かけて、たくさんの文系生徒と話し込んだのですが、『理系の授業は睡魔に襲われる』、『大学受験に必要ない』と口を揃えて言っていました。こういう考えの文系生徒もいるのか、と驚きました」

――理系科目が苦手だとそうなるかもしれませんね。でも、そんなバリアができた状態の生徒たちに興味を持ってもらうのは至難のワザのような…

「そこで生きてくるのが、私が取り組んでいる先端科学ではないかと。私は現在、身の回りの生活環境に存在するレベルの弱い放射線を用いてプラスチックの特性を改変しようとする研究に取り組んでいます。このキーテクノロジーとなる放射線には常に、社会的にデリケートな話題が伴いますよね。だからこそ逆に、題材として取り上げることで興味関心を持ってもらえるかもしれないと考えました」

――なるほど。一方で、プラスチックは身近な素材ですから、取っつきやすい部分もありそうですね。

「そうなんです。身近でありながらセンシティブでもある、この二つの要素が、科学を縁遠く感じる方々に興味を持ってもらうためには必要だと考えました。また、文系生徒に科学へのワクワク感を伝えるためには、文系の授業が鍵となるのではないかとも考えました。文系の先生方の中には、放射線という言葉に抵抗を感じられる方もいらっしゃいましたが、危険だと決めて避けるだけではなく、放射線を使ったら何が起こるのか、先端科学につながることも知ってほしいと思いました。そこで、まずは文系の先生方への理解を得るために、英語・国語・社会科の先生に放射線の国家資格を取りに行ってもらうことになったんです」

――文系の先生方が放射線の国家資格を取りにですか!?

「はい、第三種放射線取扱主任者です。高校の先生方は授業だけでも手が一杯なため、最初は連携はかなり難しく感じました。だからこそ、まず3人の先生方に放射線について知っていただき、他の先生方に紹介してもらうことにしました。そして、授業でも題材として触れてもらい、多角的な視点を伝えられるよう工夫しました。その上で、参加型の授業に進んでいきました」

放射線に関する国家資格を取得した英語・社会・国語の教員

――物事を多角的にみるというのは、まさに科学的リテラシーの向上につながる部分ですよね。アクティブラーニングでは、どのような授業をされたのですか

「実は、科学への興味を促すための授業は、大阪高校でも2006年から何度も実施してきたのですが、講義形式では話を聞いてくれなかったんですよね。そこで今回は、生徒が大好きなスマホを用いた参加型の授業を考えました。放射線にまつわる二択クイズのアプリを準備し、計10時間授業しました。クイズを繰り返すうちに、自ら放射線を探求する主体的な生徒が現れてきました」

参加型授業の会場
クイズの合間には専門的な説明も実施
科学への関心をひくクイズ
教室では、参加型授業を受講した生徒が他の生徒にクイズを使ってワクワク感を伝えていました

――盛り上がって、もっと知りたがる生徒も出てきたんですね。

「参加型授業には136名の生徒が希望して参加してくれました。その4割が文系だったにもかかわらず、自ら学び出す生徒が現れたことは、まさに『学びのインプット』が成功したといえると思います。次のステップでは、先端科学を体感してもらおうと、千葉県の量子科学技術開発機構で放射線に関する実験を行いました。データの誤差を減らすため、同じ測定操作を繰り返し実行してもらったのですが、『まさか同じ実験を25回も繰り返すことになるなんて…』と生徒たちは驚いていました。座学と実験を通して先端科学を肌で感じてもらったところで、他者に何を学んだのかを伝える『学びのアウトプット』の場を用意しました」

実験の様子
データ解析の様子

――高校生が先端科学についてプレゼンテーションを!?

「はい、スケッチブックを用いて発表をしてもらいました。手作りで紙芝居風に仕上げることで、いかに真剣に取り組んでいるかを聞き手に伝えることができると考えてのことです。生徒たちはスケッチブックを片手に、大阪市東淀川区相川町の地域住民の皆さんや千葉市の教育委員会や科学館へ伺い、発表の練習を重ねました。9月には京都市内で行われた『京都大学アカデミックデイ』に参加し、自ら街行く人に声掛けして発表を繰り返しました」

京都大学アカデミックデイとは…
市民参加型の大規模イベント。京大の研究者100名以上が一堂に会し、誰もが学問の楽しさ・魅力に気付くことができる「対話」の場となることをめざす企画

生徒が自らまとめたスケッチブックの一例
大阪市東淀川区相川町の地域住民にもプレゼンし、科学へのワクワク感の伝搬を図っている
千葉市科学館での発表
京都大学アカデミックデイでの発表

――それは鍛えられそうですね…。

「アカデミックデイの終了後、『うちの生徒はここまでできるのか…』と泣かれた先生もいらっしゃいました。その光景を目撃した瞬間、科学的リテラシーは涵養されると確信しました。そして、『学びのアウトプット』を経験した生徒たちが、その様子を高校内で伝えると『自分も参加したい』という生徒が登場し始めました。輪は広がり、10月末に複合原子力科学研究所で開催した『京大ウィークス』の実験教室には、50名の生徒が遠路はるばる参加してくれました。さらに11月には、日本保健物理学会から招待を受け、生徒と教員13名が国際舞台で発表し、おかげさまで大好評を博しました」

京大ウィークスとは…
全国各地にある京大の施設で、公開講座、講演会、施設公開等を一定期間に集中して実施する企画

溢れかえった「学びのアウトプット」の会場
日本保健物理学会第56回研究発表会ポスターセッションでの発表

科学を通じて人間が成長するプロセスも生まれ、次年度は小中高大で連動

――Nプロジェクトの概要を伺うだけでも生徒の成長速度がすごそうですが…、大阪高校を選ばれたのは、やはり母校だったからでしょうか。

「その理由も大きいです。この規模の企画を実施するには、高校との信頼関係が不可欠ですからね。大阪高校では17年間にも及ぶ長い期間、科学教育の実績を積み上げてもいました。さらに、Nプロジェクトの課題である『いかに文系の生徒へ科学のワクワク感を伝えるか?』が、大阪高校選定を決定づけることとなりました。社会の7割が文系と言われていますが、大阪高校は奇しくも教員も生徒も、まさにその7割が文系でした。つまり社会の縮図となっていたのです。また母体数の多さ、つまり2116名という生徒数は、重要な選定要素となりました」

――科学への理解を促す手法を開発する研究のためにも、大阪高校が適していたんですね。

「ただ、一般的な文系高校生を相手に先端科学は難しいのではと、最初は厳しい意見の嵐でした。ですが私は、実現可能だと終始信じていました。それは、文系理系どころか画家志望の芸術系だった私が、理系の研究者になっているからです。デッサンに明け暮れていた当時の私から現在の私の姿を予想できる方は誰もいなかったと思います。つまり、『どんな生徒にも未知の可能性が秘められており、それは親を含めて誰にも予想できない』ということです。だからこそ、『生徒の可能性を閉じないでほしい』と訴え続けました」

――生徒の可能性は無限ですよね。とても素敵なお話です。

「私自身、高校入学までいじめの対象となっていて、科学どころではありませんでした。教科書なんて、プールの中でべちゃべちゃか、マジックペンで描かれたアートだらけというあり様でした。ですが、そこで『無機質化した私』を大阪高校の先生方が『人』に変えてくださり、そして『生きる未来』まで与えてくださいました。その1人が、現在の校長先生なんです。だから、母校への恩返しにつながればという想いもありました」

高校時代の100号の油絵「復讐」。このタイトルには先生の想いが込められていたそう。
恩師にプロジェクトを持ち込んだ際の様子

――愛校心もあったんですね。次年度は、どんな展開を予定されているんでしょう。

「昨年、吹田市の教育委員長(当時)と同市の自治会連合会長を務めている恩師2人から、私の母校である小学校と中学校にも科学への関心を深めるきっかけを与えてほしいと熱望されました。私にとっては今でもフラッシュバックを起こすような苦しい思い出のある場所ですが、楽しく過ごす児童や生徒、そして現場の先生方の情熱に触れたことで、不思議と感謝の気持ちが芽生えてきました。それに、私の存在が、同じような経験をしている児童や生徒を勇気づけるかもしれない。そんな想いが重なり、次年度は、小中高大世代横断型連動のプロジェクトとして歩み出すこととなりました」

――「科学に理解ある社会」実現のためにも、またさらに大きな一歩ですね。

ペットボトルが放射線の感知に活用できるという、コロンブスの卵的な発見

――先ほど、「放射線とプラスチック」というお話が出ましたが、中村先生のこれまでの研究についても教えてください。

「放射線は目に見えず、においもないため、人間が五感で感じることはできません。その問題を解決すべく、今から1世紀ほど前に特殊な蛍光剤を添加したプラスチックが考案されました。それを使えば、放射線を目で識別することができるようになるため、放射線を測定する分野で広く利用されてきました。一方で、この素材を製造できる企業が少なく、とても高値で取引されていたため、私は容易に製造できる新素材を開発すべく研究していました。
当初は、蛍光剤に何かしらの工夫をすることで、新素材を開発できないかと考えていましたが、なかなかうまく進みませんでした。ある秋の晩、実験の休憩中に、お茶を買うために自動販売機に行ったところ、空のペットボトルが落ちていました。それを見た瞬間、蛍光剤に捕らわれる必要はないのではないか、という想いに至りました。そこからは無我夢中でお茶を飲み干し、そのペットボトルをカッターナイフで切り刻み、放射線を当ててみたら薄青く光りだしたのです。この発見が、現在の研究テーマにもつながっています」

――文部科学大臣表彰科学技術賞の受賞など、各所から高い評価を受けられていますよね。

「身の回りにあるプラスチックに放射線を当てるだけという再現性の高さが評価につながったと思っています。『コロンブスの卵的な発見』と表現されることもあります。高校時代まで本気で画家を目指していたのですが、そのために費やした時間やデッサンは、物事を少し異なる角度から観るオリジナリティとして生きているのでは、と感じます。つまり、『何事もつながっている、無駄はない』ということです。
この発見もいろんな方につないでいただいたおかげで、今では放射線計測に実用化されるようになりました。アメリカとヨーロッパの共同大型物理実験でも、キーテクノロジーの1つとして活用いただけるようですし、各方面へと広がりはじめた状況です」

文部科学省において研究成果の記者会見
文部科学大臣表彰科学技術賞の受賞式

――すごい広がりですね。もともと放射線を専門にしようとした、きっかけは何だったのでしょう。

「大学院で勉強している頃、母が特殊ながんにかかってしまいました。子宮や肺の一部を摘出したにも関わらず、脳へも転移してしまい、長期の闘病生活を余儀なくされました。そして、ある日突然、私とおにぎりの区別がつかなくなったのです。何件も何件も病院へ相談にうかがった結果、放射線の一種であるガンマ線を用いた当時最先端の治療を受けるチャンスを得ました。治療後すぐさま、母は私を『あら、ひでちゃん』と何事もなかったかのように呼んでくれました。放射線の偉大さを知った瞬間でした。しかしその後も、がんは全身に広がり続け、やがて余命宣告を受け、病院にもいられなくなりました。もうこの人を救うには自分でやるしかない、と当時の放射線医学総合研究所に就職したことが、放射線を専門にする契機となりました」

――大切な人を救いたいと願う気持ちが先ほどの研究成果にもつながったんですね。

「最期に看取った時、先ほどのペットボトルの発見を知っていた母は、『ひでちゃん、本当にいい仕事したね』と言ってくれました。振り返れば、研究者として独り立ちできるまで私が成長できたのは、このときの研究生活があったからだと思います。母を救おうと始めた研究でしたが、同時に私自身も救われていたのだと気づきました」

――ここでも『何事もつながっている、無駄はない』というわけですね。今後どのように研究を発展させていく予定ですか?

「さまざまな実験を重ねるうち、環境の中に自然に存在するレベルの、ごくごく弱い放射線をプラスチックに当てた際に、不思議なデータが蓄積していることに気づきました。光る現象とは異なる何かが引き起こされている可能性があります。その正体を突き止めるため、4月から複合原子力科学研究所で共同利用プロジェクト研究を開始する予定です」

共同利用プロジェクト研究のイメージ(作:Tomo Narashima, Laiman Co.)。

――それは楽しみですね。ちなみに「京大の良さ」ってどのあたりに感じられますか?

「まさに『自由の学風』にあると思います。京大には、さまざまな信念を持たれる研究者がいます。しかし、それらの違いにクレームするような研究者を見たことはありません。それどころか、むしろその違いをリスペクトしているようにさえ感じられるのは、ここにいる誰もが自信を持って自らの研究を行っている現れだと感じています。おかげで私も、自信を持って『放射線を活用した基礎物理の研究』と『科学教育を促すための研究』の両輪を回すことができています」

――両輪ともに全力で取り組めるのは、素敵な環境ですね

「『科学に理解ある社会』は単独では実現できないので、信頼関係を築きながら一緒に歩んでもらえる『お友達』を増やしていくことが重要だと考えています。幸いにも、学校、学会、教育委員会、自治体など、さまざまな組織で輪が広がりはじめました。Nプロジェクトに参加するために大阪高校の教員試験を受けた本学の学生も現れ、今まさに科学的リテラシーが涵養され始めたのではないかと思っています。皆で実現するその日を夢見ています」

5月には活動の様子をまとめたドキュメンタリー映像を公開する予定とのことです

■関連リンク

Nプロジェクト(大阪高等学校ウェブサイト)

「文部科学省 情報ひろば」における企画展示について