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No.137

update.2023.02.22

コアラのおしりが人類誕生の謎を解くカギに!? 文理両面から迫る独自の「しっぽ学」とは

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昨年の秋に飛び込んできた、白眉センターの東島沙弥佳 特定助教らの共同研究グループが「コアラのおしりを徹底解剖」したというニュース。「ここ100年ほど、ほとんど更新されていなかったコアラの解剖学」に着手し、「前世紀以来の解剖記述不一致を解消」したとのことなんですが…、頭の中にたくさんのハテナマークが浮かびますよね。そんな秋以来の脳内不一致を解消してきました!(ニュースの詳細はこちら

お話をうかがった東島沙弥佳白眉センター特定助教

しっぽがないのは、樹上でゆっくり動く生き物の共通項?

――「コアラのおしりを徹底解剖」というフレーズが相当なインパクトだったんですが…そもそも取り組まれたきっかけは何だったんでしょう。

「実はしっぽの研究から派生してのことなんです。なぜヒトにしっぽがないのかは解明されていません。化石が見つかっていれば、復元して直接的に解明できるはずですが、しっぽが長い先祖と全然ない先祖は見つかっているものの、その間を埋める化石がないんです。なぜなくなったかという仮説の一つに、木の上でゆっくり動いたからじゃないかという説があります。木の上で暮らす生き物は、バランスをとるためしっぽを左右に振りますが、体が大きい先祖だと落ちてケガをしたり死んだりするリスクが高まるため、ゆっくり動くようになり、しっぽが退化したのではないかというものです。それに対し、そもそもゆっくり動くことが骨から推測できるのかが気になり、コアラに着目しました」

樹上で生活するコアラ (撮影:東島)

――なるほど、それでおしりの解剖…!コアラにもしっぽがないですもんね。とはいえ、ヒトの先祖とコアラは近しい存在なんでしょうか。

「哺乳類の系統樹のなかでも、コアラやカンガルーなどの有袋類とヒトなどの有胎盤類は、最初の方に枝分かれしたので、進化的に考えると近いグループではないんです。だけど似たような環境で生きていくにあたり、似たような方向に進化することがあって、その現象を収斂進化といいます。コアラの生活様式や運動様式が、木の上で生活している霊長類とすごく似ているという研究が、2000年代に入り出てくるようになりました。それで、コアラだとゆっくり動くししっぽもないし、霊長類に似ているのであれば、コアラを調べることで、収斂進化という視点からヒトのしっぽがなくなった理由を考えるヒントを見つけられるかもしれないと考えたんです」

――コアラの解剖学が100年ほど更新されていなかったのはなぜなのでしょうか?

「理由は判然としませんが、オーストラリアの有袋類は生息域が限定的なのが大きいのかなと思います。先行研究の蓄積があればしっぽの解明に活用したかったのですが、探していくと1800年代や1900年代初頭とかなり古いんです。しかもたとえば脚でも部分的な情報だけを記した論文があるくらいで、図や写真もなく検証しようがありませんでした。そのうえ研究によって、どう考えても同じ筋肉なのに全然違う名前がついていたり、筋肉が一層か二層かも違っていたりと、不一致や齟齬が生じて混乱だらけだったんです」

ほぼ100年間手つかずだった、コアラの解剖学的な混乱をアップデート

――先行研究の数が少ないうえ、その内容もまちまちだったんですね…。

「同じコアラでもそうなので、霊長類どころかほかの有袋類との比較も全然できない状態でした。そもそも今までの古い解剖学の方法は、骨の付着部位に基づいて何筋であると名前がつけられていましたが、動物の種類が変わると、同じ筋であっても付着部位に違いがあったり、機能や役割が変化していたりもします。それで不一致が生じ、ほかの種類と比べるには不向きでした。その問題点を解決するために用いたのが、筋肉の発生学的な起源に基づく同定法です」

――どういう方法なのでしょう。

「筋肉には、動かす命令を脳から受け取るために神経が分布しています。この筋と支配神経は、体づくりの過程(発生過程)で一緒に発達してくるものなので、この由来の神経線維が入っているからこの筋である、という特定方法であれば、付着部位や機能が変わっても同じ筋であるという相同性が担保できます。その方法を使って筋肉を把握していきました。おかげでコアラの解剖学的な混乱をすっきりアップデートできたことは大きな成果です。新しいツールを使ったわけではないクラシックな手法ですが、基礎を大事にする重要性も訴えられたかなと思います」

――コアラの情報をクリアにできたことで、比較基盤も整ったということですね。そこからわかったことはありますか?

「たとえばおしりの筋肉である中臀筋と小臀筋は、霊長類だとどちらも発達しています。一方で、地上性の有袋類に関する先行研究だと、この2つの筋が癒合するなどそこまで発達していないという報告がありました。だけどコアラでは発達していたので、今回観察した中臀筋や小臀筋の発達というのは樹上で運動するものの特徴なのではないかと。逆に、比較したどれにも似ていない特徴も見えてきたのですが、それがコアラ特有の形なのかゆっくり動くものの特徴なのかは、さらに研究してみないとわからないです」

コアラのおしりの解剖結果。神経と筋をあわせて観察・理解するのが大事。
(くわしくは、Tojima et al. (2022) )

――いきなり全身を解剖するのは難しいものなのでしょうか。

「解剖は破壊的な研究アプローチなので、サンプルを手に入れるのが難しいんです。さすがに解剖用に殺すわけにはいきませんから。それにオーストラリアでは交通事故で死んでしまったコアラを見つけたとしても、許可証を持っている方でなければ回収することすらできません。今回使ったのは南オーストラリア州にあるアデレード大学で医学の解剖実習に使われていたコアラです。おしりは幸運にも無傷でしたが、おなかを開けて内臓を取ってしまった状態だったので、腹筋あたりの解剖ができなかったのは残念なところです」

――今後はそのあたりも解明していきたいですね。

「そうなんです。今回解剖できたのがおしりと後ろ脚の一部だけだったので、前足や体幹部分、ひいては全身の記述を、まずはきちんとしていきたいです。その基盤がないと、運動様式の話も広げていけませんからね」

アデレート大学で行ったコアラの解剖の様子

ヒトのしっぽは発生の過程で一度伸び、一気に縮むことを発見

――東島先生が手がけられた、他のしっぽの研究についても教えてください。

「実はヒトも産まれる前に、一度しっぽが生えてくるんです。それがなぜなくなってしまうのかを今も研究しています。発生学の分野では、体の中の軸が大きく伸びていき、止まる時期によってしっぽの長さが決まると言われていました。しかし私が見つけたのは、止まった後に縮むというもう一つの新しい発生現象です。ヒトのしっぽは妊娠して2ヵ月くらいまでになくなるんですけど、骨や筋肉の材料になる体節という細胞の塊が、いわゆる十月十日の妊娠期間中、たった2日間で一気に減ってしまいます。しかも腰椎を作れるぐらいの数なので相当なものです」

実際の標本でみるヒト胚の発生過程。ステージ16(37-42days)では、はっきりとしっぽが見えるがステージ23(56-60days)では完全に消失していることがわかる (Hill (2018)より)。

――わざわざ一回作られたものが、そんな短期間でなくなっちゃうんですか?

「そうなんです。どうせ失くすなら最初から短いしっぽを作っても良さそうなものなのに、不思議ですよね。こんな一風変わった現象が一体どんな仕組みで起きているのかについても研究を進めています。そしてこれとは別に、『ヒトにしっぽが生える』というまるで漫画のような事例についても研究をしていました」

――ヒトにしっぽが生えるパターン!?

「ヒューマンテイルという、おしりにしっぽのようなものが生える先天異常があるんです。しかし死に至るようなものでもなく、産まれてすぐに外科的な手術で切ってしまうぐらいで、病型の分類など深い研究がなされず100年ほどほったらかしにされていました。だけど乳幼児の時点で切ってしまうと、やがて排尿や排便が困難になったり、歩行障害が起きたりと、成長してから弊害が生じることがわかってきました。完全に医学の領域でしたが、発生学の観点から見直したら何かわかるのではないかと研究をはじめました」

――現在、わかってきたことはありますか。

「症例報告は1880年代が最初ですが、2017年までの分をすべて集めて分類すると、見た目は似ていても原因に4パターンあることがわかってきました。また、1901年の時点では、発生の段階でしっぽの先のところに体節のない領域があり、それがうまく引っ込まないので写真にあるようなしっぽ状のものができてしまうのではないかと言われていました。しかし断面や組織標本を確認したところ、発生の全ステージにおいて、しっぽの先端まで背骨の材料になるものがびっちり入っていました。つまり先行研究で言われていた無体節領域はそもそも存在しておらず、この仮説が誤りであることもわかったんです」

“ひと”の成り立ちを探るには、生物学と人文学の両アプローチが必要

――別の観点から見直すことで、見えてくるものも多いわけですね。

「ヒトが進化や発生の過程でどうしっぽをなくしたのかを知ることは、私たちがどういうふうに“ひと”になったのかを多角的に見るための鍵になるのではないかと思っています。“ひと”には、生物学的な種としての“ヒト”と、人間性を備えた“人”という2つの意味が含まれていると私は考えていて、人文学的な面からも“人”のしっぽに迫るため、神話や民話にも数多く出てくるしっぽは、何を表象し、どう認知が変遷していったのかについての研究も進めています」

――文理両方の視点からしっぽについて考えられている、と。

「“ひと”の成り立ちを知るには、生物の形態的多様性とその形成過程を知るための生物学的アプローチと、人間の認知の変遷を知るための人文学的アプローチの両方が必要だと考えているんです。そもそも何かを知りたい時に、一つのアプローチだけで知れるわけがないとずっと思っています。だから専門は何かと訊かれるとき、だいたいの研究者は『○○学』と答えるように思いますが、私にはそれがなくて、白眉センターに着任してからは『Shippology』、『しっぽ学』だと言うようにしています。ある生き物のしっぽや、しっぽの現象に着目している方はいますが、こういう目線の方はあまりいないんじゃないでしょうか」

――なるほど。それにしても先生は、どうしてしっぽの研究をはじめたんでしょうか?

「私はもともと文学部で考古学を専攻していて、イノシシやシカの骨を見て、当時の人たちがどういう風にその場所を使っていたかの研究をしていました。実は考古学的なアプローチで人骨の研究をしたかったんですが、動物の骨を見ているときは考古学の領域なのですが、人骨だと理学の領域になってしまうんですね。そこで学部卒業後、京都大学の理学研究科に進んだものの、いざ来て論文を調べてみても何か違う。テーマが決まらないまま、ケニアへ化石の発掘に行くことになりました。人類誕生の地に行ったら何か思いつくのではという期待もあったんです。それで実際、大地溝帯という大地の裂け目に立ったとき、『そうだ、しっぽをやろう!』と急に思い付いた。まったくアカデミックな理由ではありませんね(苦笑)」

――まさに天啓じゃないですか!

ケニアの大地溝帯に訪れた時の写真

――先生にとって、京都大学の魅力ってどんな部分に感じられますか。

「やっぱり自由で、いろんな人がいるところですね。変な人に対する寛容性が高く、仲間が集まりやすいんです(笑)。例えば尖ったことや革新的なことを言ったときに、あいつは変わった奴だから距離を置こう、とかではなく、誰かしら寄ってきて意見や助言をしてくれる。いろんな人がいるのは、とても恵まれていることです。だから就職予備校のように使うのはもったいない。振り返ってみても、学生時代は一番頭が柔軟で吸収率や定着率が高かった頃なので、今の学生さんや今から京大に入る人にも、この自由で寛容な環境を活かして、いっぱい知識の裾野を広げてほしいと思います」

■関連リンク

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京都大学人と社会の未来研究院が制作している対談動画「文理の森」。
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