No.13

update.2017.03.02

あらビックリ!京大の土の層は歴史の宝庫なんです、の巻

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あなたは京都大学のキャンパス内が遺跡の宝庫であることを知っていますか?
平安遷都1223年(延暦13年(794年))の京都ですから、
そりゃあもう「掘れば出てくる!」と言っても過言ではないほどの、
遺跡だらけの土地でございます、ハイ。
その条件は京都大学構内(左京区吉田キャンパス)も同じ。
いたるところに遺跡が眠っているのです!!
でも、発掘現場ってどんな感じ?
どんなものが発掘されるの?
発掘されたものってどうなるの?
今回のザッツ・京大は、そんなさまざまなギモンに編集部が迫ります!

京都といえば、言わずと知れた歴史深き土地。
「掘れば出てくる!」と言っても過言ではないほどの、遺跡の宝庫でもあります。
それは、ここ京都大学も同じ。実は、大学構内のいたるところに遺跡があるんです!

【前編】では、発掘現場と、遺物が眠る資料保管室の潜入レポート、さらに【後編】では、もう一つの保管先でもある重要文化財「尊攘堂」の内部と歴史を徹底レポートしますよ~!

「文化財総合研究センター」ってどんなところ?

京都大学構内には、吉田キャンパス北部構内の縄文時代の「北白川追分町遺跡」や、大阪府高槻市の農学部附属農場内にある弥生時代の「安満遺跡」など、全国的にみても古くからたくさんの有名な遺跡があります。 このほか吉田キャンパスのほぼ全域や、全国各地の附属施設内にも、 長い歴史を刻んだ貴重な埋蔵文化財が多数存在しています。
こうした学内に残る埋蔵文化財の調査を、建物や施設の建設の際に文化財保護法の主旨に則って実施し、 調査報告とそれをベースにした研究を目的として、1977年7月に「埋蔵文化財研究センター」が設置されました。その後、2008年4月に旧埋蔵文化財研究センターの改組により設置されたのが「文化財総合研究センター」です。現在は同センターが大学構内の発掘調査および出土資料等の管理を行っています。

センターの役割は主にこの三つ!

1.遺跡の発掘・記録
学内の建物の建設計画にしたがって、建築予定地の発掘調査と記録保存を速やかに実施します。
2.分析・研究
発掘された文化財を詳しく調査・研究・分析し、データ化して蓄積し、報告書にまとめます。
3.保存・公開
発掘された遺物を適切な場所・方法で保存し、さまざまな形で調査資料の公開を実施します。

遺跡発掘現場に潜入!「熊野職員宿舎跡地から出てきたものとは・・・?」

そうとなれば、やっぱり発掘現場をナマで見たい!
・・・ということで、取材時にちょうど行われていた「京都大学熊野職員宿舎跡地」の発掘現場に潜入してきましたよ!
今回、発掘現場を案内してくださったのは・・・
「京大発掘マスター」こと、冨井先生と内記先生です!

左から、冨井眞助教、 内記理助教。お二人ともに毎年約1、2箇所は発掘作業をしています。
1年のうち、およそ2分の1~3分の2を現場で過ごしていることに!

まずは基本情報から。

京都大学熊野職員宿舎跡地「白河街区跡(しらかわがいくあと)」

京都大学熊野職員宿舎の改築にともない、周知の遺跡である予定地1876平方メートルの発掘調査を実施しました。その結果、幕末頃の瓦を積み上げた構造物を良好な状態で確認でき、また埋設された壺の中から江戸時代の遺跡の発掘出土品としては珍しい祭祀用と思われる墨が出土するなど、考古学的にも大きな発見につながりました。

  • 遺 跡 名:白河街区跡(しらかわがいくあと)
  • 所 在 地:京都市左京区東竹屋町(京都大学熊野職員宿舎跡地)
  • 調査期間:平成27年9月28日~平成28年2月12日

幕末京都絵図(★印が今回の調査区と推定される位置。

(写真上)調査区全景、(右下)瓦積み遺構。瓦積み遺構は、砂地の地盤に掘り込んだ大きな溝の中に構築されている。瓦は桟瓦とともに道具瓦なども多く用いているほか、巴文以外にも卍文(阿波蜂須賀家の家紋)などの文様を持つ軒丸瓦も含まれている。溝の検出地点は、幕末の絵図によれば、阿波徳島藩邸の敷地の北縁の東部に位置する可能性が高く、溝は藩邸を区画する堀と思われ、瓦積み遺構は門のような重量のある構造物を支持するための地盤改良(=地業)と解釈できる。阿波徳島藩邸の造営に伴うものと考えられる。(左下)瓦積み遺構のすぐ際で発見された土師器の壺。地鎮の祭祀に用いられたと考えられる。(下中央)瓦積み遺構の中央部分の延長部で、同様の形状の壺の埋設遺構を発見。割れ落ちていた蓋を取り外すと墨が出てきたことから、「胞衣壺(えなつぼ:子どもの成長祈願などを願い、壺や杯などの容器の中に胎盤などをおさめ蓋をして地中に埋めたもの。一緒に筆、墨、刀子などを納める場合もある)」の可能性が考えられる。

大学構内での遺跡発掘について、発掘マスターに聞きました!

初めて遺跡発掘現場に潜入した編集部にとって、現場には謎がいっぱい。ここはひとつ、発掘マスターにいろいろ教えてもらいましょう!

Q. なぜ、大学構内で発掘が行われるようになったのですか?
冨井: ずっと前は、建物を建て替えるときも発掘作業は特に行わず、そのまま新しいものを建てていました。しかし、国立大学としても文化財を保存する責任がある!ということで、1970年頃を境に基本的には建物の建て替えごとに発掘し、記録として保存し、貴重なものは現地または移築で保存する方針になりました。
これまでの発掘調査の数は、面積にすると延べ100,000平方メートル以上!大学構内全体の約3割を掘ったことになりますね。大学の組織として文化財の調査を継続的に行うことは、貴重な歴史を復元するための資料を蓄積するだけでなく、 文化財に関する研究や調査技術の開発を進めていく上での、臨床的な場としても生かされているんですよ。
もちろん、全て完了したら、その後の工事のために整地します。
編集部:そうなんですね。何だかもったいない気がしてしまいます・・・(笑)。

Q. 発掘はどのように行うのですか?
冨井:まずは大型ブルドーザーでざっくり掘り下げるところから始めます。遺跡があると想定されている深さは大体わかるので、それを壊さない程度のところまで。それから、細かい発掘作業に入ります。
編集部:たくさんの人が作業をしてますが・・・、冨井先生と内記先生以外の方も、みなさんセンターの関係者ですか?
冨井:いえいえ。僕と内記先生以外は、みなさん発掘のプロの業者さんです。センターに所属の教員だけではとても人手が足りないですし、限られた期間内に作業を終えないといけないので、こうしたプロの力をかりながら発掘は進めています。僕らよりも現場慣れしている職人さんたちなので、頼もしいです!


発掘のプロのみなさん。手際よく作業をすすめていきます。


この日は身にしみるような寒い日。真冬や真夏の発掘作業はかなり大変ですね・・・。

編集部:へ~! こんな世界にもプロの業者さんがいるとは知らなかったです! では先生、発掘作業の流れについておしえていただけますか?
冨井:建て替えなどによる学内の発掘作業は、まず、建物の建設計画に合わせて決まります。現場が決まったら、既に発掘された周辺の遺跡を基に全体のメドをつけ、「地層」から見て、地層ごとに掘っていきます。掘り出される地層1枚1枚ごとに様子をみていき、周辺の地層の様子をチェック。地層の色や内容物が全然違うので、それだけで年代がわかることが多いんですよ。「この地層は弥生時代かな。お、やっぱり。その時代の遺構が出てきたぞ!」といった具合。
編集部:その地層ごとに出てくる遺構で、さまざまなことが見えてくるんですね。 まずは掘るところからとは! てっきり、資料などでしっかり下調べしてから・・・なのかと思っていました。
冨井:そりゃあ、もちろん調べますよ。でも、そうした昔の絵図や資料などを照合できるのは、その後掘ってからなので、さらに確実にしていくという感じかな。現場から多くの情報が得られるんです。
それから、さらに細かい発掘作業に入ります。ここからは、かなり神経を使う繊細な作業。そして、「何がでてくるか…楽しみでもある作業です。

今回の発掘の目玉の一つ、卍文様の軒丸瓦。キレイな状態で残っていますね!

細かいところは特殊な道具を使って、慎重に作業していきます。
編集部: ところで、あちこちにあるたくさんの穴はなんですか?
冨井: あの穴は、建物の柱や井戸の跡だったり、畑仕事のために穴を開けて埋めた部分だったり。一見、何の変哲も無い穴でも、立派な遺構なんですよ!
金銀財宝といったわかりやすい遺物以外でも、歴史を紐解くための貴重な遺構・遺物がたくさんあるんです。それらの大切な「手がかり」を探し出すのが僕らの仕事。何が埋まっているかに驚きもあるけれど、まずは「どう埋まっていたか」が大事。「〇〇が出たぁ!」だけじゃ、ただのお宝探しです(ピシャッ)。ちょっとした手がかりの一つ一つが積み重なって、「こうかな?」が、「やっぱりそうか!」へとつながっていくんです。

上空から見ると、いたるところ穴だらけ!

  • ちょっとした土の色の違いも見逃しません!
  • 井戸がしっかりと残っていました。こんなに頑丈な井戸を作るなんて、昔の人はすごい!
  • 一見ただの土のようでも、そっと表面をなぞっていくと、徐々に遺物が顔を出します

Q. 「京大で発掘することのメリット」ってありますか?
内記: 特に京大にはさまざまな学問領域があるので、ネットワークを活用して、学内外の異分野の研究者の力をすぐに頼れるところは大学ならではですね。例えば今回の発掘では、堆積学や建築学、保存科学の研究者に協力をあおぎました。また、発掘されたものの保存・分析のために、保存科学の研究者に遺物をあずけることもあります。すぐに他分野の研究者から協力を得やすいのは、京大ならでは!
Q. 発掘されたものはどうなるんですか・・・?
編集部: これまでも、たくさんの発掘物があると思うのですが・・・。発掘されたものって、どうするんですか?
内記: どんなものでも、京大構内の発掘現場から出てきたモノは国民の共有財産!ということで、決して無碍にはできません。なので、必ずどこかで保管します。
まず発掘直後の仕分けで考古遺物かどうか判断し、分析・データ化して記録した後、重要と思われるものはセンターに持ち帰り、センター内地下にある資料保管室か尊攘堂で保管。それ以外で、広く公開すべきと思われるものは京都大学総合博物館で展示されたり。それ以外は「原因部局」で保管されます。
編集部: 「原因部局」って何ですか・・・?
内記: 「原因部局」とは、発掘する遺跡の発掘元となる部署や研究科、研究所等のこと。例えば今回の場合、職員宿舎の建て替えなので、管轄している「施設部」が原因部局になります。原因部局の保管場所は京大構内のどこかしらの一角にありますよ。学内のいたるところに、実は遺物が保管されているんです!

数々の貴重な遺物が眠る、センターの資料保管室に潜入!

そんなにたくさんの遺跡が発掘されているなら、発掘された遺物の数もすごいはず!
ならばそれも見たい!・・・と、続いて、発掘された遺物の保管場所の一つ「資料保管室」を冨井先生に案内してもらいました。
場所はいたって普通の校舎である某研究棟の地下。まさかこんな身近なところに、こんなナチュラルに遺物が保管されていたとは・・・。

ずらりと並ぶ専用のケース。このセンター内の保管室だけでも、およそ1,300個のケースがあるそう!

発掘された遺物はどうなるの?

ケースに記載されているのは、報告書番号、発掘場所、遺物ID。
発掘されたものは、その場で仕分けした後にまず袋に入れて現場事務所に持ち帰ります。発掘作業は限られた時間との戦いなので、即座に判断し、考古資料とそれ以外のものに仕分けします。この段階では土まみれのまま。その後、遺物を丁寧に洗って、さらに仕分けします。
センターが重要と判断したものは、IDをつけてマーキングし、区別・管理。
こうして、発掘後は「どこの現場でいつ発掘された、何か?」をしっかり区別しておくことが重要。遺物には似たようなものが多いため、これを怠ると区別ができなくなるそうです・・・。
「この遺物は重要なものか否か?」を判断する際は、もちろん自分の知識だけでなく、他の大学や専門家など、さまざまなネットワークの情報を参考にしながら判断することが多いそうです。
そのため、人脈づくり、ネットワークづくりもとても重要!

  • 似たような遺物が多いため、こうしてきっちりと区別して保管。
  • 多くは遺物そのものにもマーキング。マーキングは、遺物に支障のない形で施しています。

区別された遺物はどうなるの?

仕分けされた遺物は、寸法を測定して、詳細な図にします。もちろん図は手描き!
図にしながらじっくり遺物を観察すると、その作り方や素材で、それがどこから来たものか、その時代の社会情勢や人々の暮らしなど、いろんなことが見えてくるそう。
「これは京都でみつかったものだけど、作り方からすると江戸のモノだな!」といったふうに。
どんな似た色の破片でも、「これは埴輪の一部だな」などは経験値で概ねすぐわかるそうです。さすが!

  • 似たような破片でも、どんなものの断片か?は、経験で概ねわかるそう。
  • こうして細部まで細かく図にします。いや~、これは手のかかる繊細な作業。
  • 遺物を採寸する「真弧(まこ)」という測定器。
  • こちらは2月から総合博物館で開催中の企画展で展示している、弥生時代の貴重な甕(かめ)など。企画展に出すものを選び出すのも先生たち自ら。
  • 発掘当時はただの破片だった遺物を、こうしてつなぎ合わせる技術も、まさに職人技ですね!

遺構はどのように記録するの?

専門の技術職員さんの手で遺構が甦ります!

それでは、遺構はどんな形で記録するのでしょうか・・・?
まず発掘現場で、現場の状況をつぶさに手描きで残し、その手描きの地層スケッチをパソコンでトレースしてデータ化します。これは何とも緻密な作業!
こうして、建て替えでまた元どおりに埋め立てられてしまう遺跡も、貴重なデータとして残すことができるんですね。
発掘において「地層」はとても重要なてがかり。「地層を一つ一つはがしてひもといていくことで、歴史や当時の生活が見えてくる」と先生は言います。
「考古学の基本はやっぱり現場。経験によって蓄積した情報や、培った観察力・判断力が何よりも大切。だから学生にはもっと現場作業を積んで欲しい! 最近はおもしろい講義も多いみたいだから、学生がなかなか現場に足を運べないという現実もあるんですけどね・・・」と先生。
確かに、どれもマニュアルで教えられることではないですよね。学生たちには、できるだけ現場で経験値を積んでほしい!


忠実に再現された遺構のデータ。とにかく、精密!

重要なモノは遺物だけでなく、土や砂の場合も!

ひと言で考古資料と言っても、それはモノだけとは限りません。
例えば、土や砂だって貴重な情報源。その時代の植物が混入していたり、花粉や微生物が検出されたり。
その他、人間の排出物などはとっても貴重なため、出てきたらすごく嬉しいそう。それを分析することで、当時の食生活などさまざまなことがわかるからです。
先生いわく、「トイレの跡があるとかなりテンションあがる!」んだとか(笑)。現場にあるものすべてが「ヒント」なんですね!

  • 土や砂などが入ったタッパーもたくさん保管されています。
  • この土も大切! 植物学、地質学、火山学など多分野の研究者と連携できるネットワークをすぐに生かせるのも京大の強み。
  • そのほかにもたくさんの遺物が保管されています。全部見てみたい!

実はマルチな才能が必要な考古学の世界

それにしても、遺物の記録をとるための製図や遺構のスケッチなど、全部自分で手がけるって、考古学者って大変・・・。
「そうなんです。人手が足りないこともあるため、写真を撮るのも自分たちだし、図を描くのも、記録用の資料を作るのも自分たち。もちろん現場で発掘するのも、業者さんに指示を出すのも自分たちです。なので、考古学者は意外とマルチな才能が必要なんですよ! 僕は例外だけど(笑)」。
・・・と冗談まじりに話す先生ですが、いやいや、冗談抜きでそのとおりですね!

  • ここで発掘されたものを撮影します。考古学分野では、記録のために必要な写真の技術も重要。
  • デジタル技術がなかった時代は、このようにフィルムで保存していました。
  • こちらもデータ化が進む前の手描きトレース。昔は記録一つ取っても実に大変だったんですね。

遺跡発掘の「ザッツ学(雑学)」

  • 発掘頻度は、世の中の景気に比例する。建物の建設工事に合わせて発掘が決まることが多いため、好景気=建物がやたら建つ=発掘作業も多、ということ。
  • 日本の遺跡発掘はとても多く(現在、年間約8,000件!)、遺跡発掘専門のセクションをもつ業者はたくさんある。
  • 考古学者には、写真の技術や画才だけではなく、現場での即座の判断力、現地の人々とのコミュニケーション能力も必要。なので、考古学をやっている人間は「能力バランスの良い人材が多い!」そう。海外では、考古学出身は企業でも就職に人気だとか。

[取材を終えて]

率直な感想ー。「考古学者の方々ってすごいわー。知力・体力・想像力を兼ね備えている」。ただただ掘っているだけではない。脳をフル稼働させないとできないのだ。今回、取材でお邪魔させていただいた「京都大学熊野職員宿舎跡地」は、溝や穴ぼこ、瓦がたくさんあり、パッと見、ド素人には何がどうなっているのかさっぱり見当もつかない状態。だがしかし!京大発掘マスター冨井眞助教、 内記理助教に説明いただきながらだと、悠久の歳月を生きた人々の暮らしが少し垣間見えた気がしました。もしまたチャンスがあれば、次はしっかり予習しておき、歴史トリップを楽しみたいと思いました。