2023.09.27
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No.47
update.2021.08.25
今回、スポットを当てるのは、京都大学こころの未来研究センターの熊谷誠慈准教授です。
ご専門は仏教学で、今年1月、熊谷先生がリーダーを務めるチームの研究が、「ムーンショット型研究開発事業」のミレニア・プログラムという取り組みに採択されました。
「ブッダボット」の開発など、こころに関するユニークな学際的研究を進められているということで、こころの未来研究センターにお邪魔し、じっくりお話をうかがいました。
――もともと仏教学を専攻されたきっかけはなんだったんですか?
「広島県にあるお寺の生まれで、跡を継ぐために専攻しました。そのなかでも京大の仏教学は、発祥であるインド仏教がメイン。非常に難しい言語であるサンスクリット語の古文書を解読し、ようやく完成した論文が卒業論文でした。まだ研究らしい研究ができていないと感じて大学院に進み、修士課程ではチベット仏教を研究。博士課程からポスドク時代にかけては、チベットの土着宗教であるボン教も加えた比較思想の文献研究を進め、年々その面白さを感じるようになり、その結果10年かけて古文書研究などの基礎研究を行いました」
――10年間も基礎研究を進められたのですね。
「しかしながら基礎研究だけでは、すぐ社会の役に立たないし、お寺の仕事にすら直接は使えない。“人文科学不要論”の壁は高いなと、一種の限界も感じていました。転機になったのは、大学側からブータンの研究をやってくれないかと言われたこと。2010年に『京都大学ブータン友好プログラム』が始まったことを受け、助教になるタイミングでその依頼を受けました」
――いきなり違う国の研究を!? しかも仏教学に特化するでもなく!?
「いくら主要民族がチベット文化圏の人々とはいえ、私の研究対象とは別の国でした。フィールドワークを主体とした学際的研究を始めましたが、相当苦労しました。しかし研究を進めていくうちにいろいろな発見がありました。そもそもブータンは、仏教なくして成立しえない国。前国王が1970年代に提唱し、国策の基盤になったGNH(Gross National Happiness=国民総幸福)も、仏教哲学から強い影響を受けています」
――GNPやGDPとは別の尺度として、世界中に大きな影響を与えましたよね。
「GNHの考え方は、日本でも東京都荒川区をはじめ全国の自治体に波及し、行政に応用されています。ブータン人はその仏教的思想から、国外の人間どころか動物と人間も区別しないんです。いわゆる拡張型の資本主義とは異なり、自然を破壊せず、みんなが幸せに共存できるような、持続可能な経済開発をめざしている。その在り方の本質は、開発学や経済学、心理学的な視点からだけでは見えてきません。ブータンの研究を進めるうちに、仏教の本質は“幸せになるための教え”であり、それを生かすことが、自分の研究を社会に役立てる突破口になるのではと考えました」
――しあわせになるための教えだと考えれば、仏教学も必要だと実感しやすいですね。
「観光仏教や葬式仏教とも揶揄されるように、日本仏教が形骸化し、人々が本質的に仏教を必要としなくなってきています。そのことをずっと問題視していて、同じ問題意識をもっていらっしゃった青蓮院門跡の東伏見光晋執事長と、仏教離れを止めるのに何か打つ手はないかと定期的に会って話し合っていました。日本仏教を復興させるためには、その本質を取り戻す必要がある。そこで、多くの人に2500年前の仏教の叡智に直接ふれていただくため、AI(人工知能)に着目しました」
――仏教の教えに触れてもらう手法として、AIを活用しようと?
「AIはまだ宗教分野に本格的には入り込んでいませんでしたしね。そこからAIを開発する会社(Quantum Analytics Inc.)のCEOである古屋俊和さんと、産“宗”学連携で共同研究をする運びになったのですが、まず『AIでブッダをつくれますか?』と質問をしたほど、最初はAIについて何もわかっていませんでした…。しかし相互理解を深めるうちに、ブッダの知性そのものをAIで復元することは極めて困難ですが、他方で説法をできるようなチャットボット(対話型AI)ならつくれそうだとわかったんです」
――斬新な展開でワクワクします…!
「とはいえ、そのためのアルゴリズムをつくろうにも、文献をどう学習させていくかがわからない。そこでデータサイエンスに関するオンライン講座を履修して、自分自身でもプログラムが組めるぐらいの知識を習得しました」
――そこまで踏み込まれたのですか!
「多くの文理融合研究が頓挫するのは、そこを突破できないからでしょう。表面的な情報共有だけで文理融合研究は不可能です。多分野のエキスパートにまでなる必要はありませんが、双方の分野に踏み込まなければ成り立ちません。こうして最古の仏教経典『スッタニパータ』から抽出したQ&AリストをAIに機械学習させ、ユーザーからの質問に回答する『ブッダボット』の開発に至りました」
――SNS上でも話題になったブッダボットは、そういう経緯で誕生したのですね。
「試作品の第1号は単語レベルでの回答しかできませんでしたが、第2号ではQ&Aデータ中から適切な回答を選び出せるようになったので、公表に踏み切りました。もちろん批判も覚悟していたのですが、多くのメディアで報道され、一般の方にも意外と関心をもってもらえたかなと」
――「体験してみたい」という声も多くありましたよね。
「DX(Digital Transformation)化を進めようとしている政策にも合致したようで、産官からもかなり反響があり驚きました。今はまだ、電子テキストどおりの回答しかできませんが、今後、モニター利用の結果をフィードバックし自動学習させることで、より適切な回答が出せるよう精度を高められるよう準備を進めているところです。将来的には一般公開(*登録制)する予定なのですが、このデータは現在、開発中のPNS -Psyche Navigation System(サイキ・ナビゲーション・システム)にも応用します」
――PNSについて詳しく教えてもらえませんか?
「PNSとは、人のこころや体の状態をセンサーやAI技術で推定し、五感を刺激するアクチュエーター(駆動装置)を使って、理想的な状態に導こうという、新たなテクノロジーのことです。たとえば視覚ならVRやプロジェクションマッピング、聴覚なら音楽などを使います。実は人のこころを最も画一的に導きやすいのは嗅覚なんです。視覚や聴覚は好みが細分化されますが、人が好みやすい匂いって大きな傾向があるんですよね。味覚や触覚は扱いにくいので、まずはこの3つを組み合わせて誘導しようと進めています」
――五感を刺激して理想の心身状態をつくるということですか?
「何をもって理想的な状態とするのか、基準がなければ進めづらいので、仮のスタートラインを仏教哲学などで謳われている伝統知-伝統的な知恵にしました。そのためには伝統知を『なんとなく良いと思う』という感覚的なものではなく、定量化する必要がある。AIに多くの経典や哲学書を機械学習させ、伝統知を定量化してデジタルへ移行する、DX化した上で理想の状態を算定しようとしています」
――いわゆる悟りの境地に近づく状態を追体験できるならすごいです。
「いずれにせよ、同じ個人でも朝と夜とでは感情が違いますし、理想の状態も、その時々によって変わるはず。リアルタイムにこころを計測し、その人がそのとき望む状態にもっていくことが大切です」
――確かに、常に楽しい気持ちでいたいわけでもないですしね。
「一方で、人それぞれのこころの機微まで数値化して把握する、感情のDX化も必要です。認知科学では6種類の感情があると言われていますが、ときには悲しみと喜びが混在するような、矛盾した複雑な気分になることもあるでしょう」
――6種類で割り切れるものじゃないですね…。
「伝統知における感情は、たとえば小乗仏教なら46種類、大乗仏教なら51種類あるとされています。その時点で、認知科学の10倍に近い複雑な区分です。それぞれの感情に対し、仏教ではこころを変容させる身体技法、つまり体を使ったアクチュエーターが決まっています。執着を抑えるにはこの瞑想、慈悲を起こすにはこの瞑想といったものが、一対一であるんです。1990年代になると脳科学者たちもメディテーション(瞑想)を研究するようになり、メカニズムは解明されていないながらも、それにより何%の人のこころが安定したといった統計的に有意な結果も出ています」
――当事者からしたら、仕組みはわからなくても効果が出れば充分だったりしますしね。
「ただ、人をナビゲートして終わりじゃなく、その数値をフィードバックすることで、伝統知DXをバージョンアップしていくことも計画のうちです。2500年前、インドで正しいとされていたことが、21世紀も正しいとは限りませんからね。『ブッダボット』のデータを応用するとともに、仏教以外の宗教や哲学からも DX化を進めたいと思っています」
――PNSの研究チームはどうやって結成されたのですか?
「きっかけは粟野皓光さん(京都大学情報学研究科 准教授)から、Facebookでメッセージをもらったことでした。AIの研究において、未踏領域である宗教を扱いたいけど、周りに宗教学者が一人もいないので一度話を聴いてもらえないかと。粟野さんが、超小型コンピュータを研究開発されている三浦典之さん(大阪大学大学院情報科学研究科 教授)に、こちらも認知科学の専門家である上田祥行さん(こころの未来研究センター 特定講師)に声をかけ、4人で何ができるかという議論から始めました。ちょうど『ブッダボット』を構想していたところだったので、その話もして。約1年間にわたって4人で話し合い続けた結果、PNSの開発が、多くの問題の原因となっている社会の不寛容さを改善する一助になるのではと考えました。そこから募集のあったミレニア・プログラムに応募しました」
「ムーンショット型研究開発事業」のミレニア・プログラムとは?
重要な社会課題に対し“ムーンショット目標”=人々を魅了する野心的な目標を国が設定し、研究開発を推進するという取り組みで、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が運営。ミレニア・プログラム=新たな目標検討のためのビジョン策定に選ばれたチームは、約6ヵ月かけて議論・調査を深め、実現したい2050年の社会像、取り組むべき課題、目標達成に至るシナリオなどを発表。そこから新たなムーンショット目標に設定されるかの検討が行われていく。
――なるほど、公募ありきでスタートしたわけじゃなかったのですね。
「ミレニア・プログラム終了後も、研究開発は続けています。今後、ムーンショット目標に選ばれれば、より進めやすくなりますが、そうでなくてもテーマに掲げていた『PNSによる安寧と活力が共存する社会の実現』に向けて研究開発活動は続けていくつもりです」
――振り返ると、長年の基礎研究が最先端の共同研究につながっていることにもワクワクしました。
「文理融合の共同研究を行うには、一つの分野を深く掘り下げた専門家同士が力を合わせる必要があり、そのためには基礎研究が重要です。いくら視野を広げても、特化した武器(=専門知識)をもっていなければ戦えませんからね。また、役に立たないとされることの多くは、誰も知らないことです。だけど将来何かが起きたとき、そういうなかから私たちの予想を超える突破口が見つかるかもしれません。現時点で役に立たないと言われている研究も、ある程度の寛容性をもってご支援をいただきたいですし、研究を志す人たちにも「自分の研究をいつか社会の役に立たせたい」という気持ちで、追究したいテーマを諦めてほしくないですね」
――先生方の研究も、思いも寄らないところからスタートしましたしね。人々のこころが理想の状態になれば社会のトラブルも減るでしょうから、早く実用化されてほしいです。
「コロナ禍においても、いろんなトラブルや争いが起こっていますが、コロナはきっかけにすぎず、トイレットペーパーの買い占めを起こした無知や、政治資金パーティーで集団感染を起こした傲慢さなど、その主原因は社会の方にあります。こころに問題があるから、他者を攻撃したり身勝手なことをしたりしてしまう。その行動の集まりが不寛容な社会を形づくっています。SNS上から起こる誹謗中傷も、根本はこころの問題です。仏教などの伝統知を科学と融合させることで、安寧と活力が共存する社会の実現を目指し、その課題解決に貢献できればと考えています」
――熊谷先生、ありがとうございました!