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No.142

update.2023.07.26

流れを理解することで、生き物の姿が見えてくる!「微生物流体力学」はミクロの世界の名ガイド

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数理解析研究所の石本健太 准教授が昨年12月、『微生物流体力学:生き物の動き・形・流れを探る』(サイエンス社)という本を出版されました。「流体力学」だけなら物理学のようですが、「微生物」がつくとなると…生物学? でも同著は「ライブラリ数理科学のための数学とその展開」シリーズの1冊として出されているので…数学? ますます謎が深まります。なんだか気になるこの分野について、石本先生に教えてもらいました!

流体を泳ぐ微生物の動きは、さまざまな分野に応用できる

――「微生物流体力学」って難しそうですけど、面白そうでもありますよね。いったい、どんな分野なんでしょう。

「実は『微生物流体力学』という学問分野があるわけじゃないんですよ。細菌やプランクトンのような水の中を泳ぐ微生物の運動を調べる領域の研究を、こう呼んでいます。液体や気体など流体の動きを扱う流体力学は、主に物理学の一分野として知られていますが、土木や環境、あるいは自動車や飛行機といった乗り物の設計などに必要な知識でもあるので、工学部で教わることも多いです。しかし生き物を扱えば生物学も絡みますし、この本の中身は見るからに数学的な内容で、多くの数式や定義、証明なども書いてあって、どの分野なのかよくわからない。いろんな分野が合わさった学際領域だというのが大きなポイントです」

――学際領域…、つまり、たくさんの研究者が関わる領域なんですか。

「そうですね。同じようなテーマについて、いろんな視点から研究されていて、研究者の数はここ10~20年ですごく増えてきています。流体を泳ぐ小さな生き物の動きは、体の中で働くマイクロロボットやナノロボットにも応用できるなど、さまざまな可能性を秘めていますからね。研究者には、物理、化学、材料、農学、医学の先生たちもいらっしゃいます」

――ものすごく多岐にわたるんですね。研究者が増えてきているというのは何か理由があるんでしょうか。

「一番には、計測技術が進歩したこと。微生物の運動は相当速いので、ハイスピードな動きをものすごい高倍率で見なければならず、難しいんです。そんな細胞レベルの可視化や計測は、撮影機器や機械学習といった情報処理の進歩でどんどん可能になり、最近では3次元で捉えられるようになりました。そうなると、なぜそういう現象が起こるのかといったことを解明する需要が出てきますが、こちらも計算機が発達し、今までできなかった生き物の複雑な運動の計算が可能になりました。おかげでいろんな学問分野の人がアプローチできるようになったのだと思います。たとえばマイクロロボットの研究が盛んなアメリカなら、あらゆる産業につながる根っこの研究として、莫大な資金が投入されている印象です」

微生物の動きが速すぎることが伝わる

――巨額の先行投資がなされている分野でもあるんですね…! そんな研究に対し、石本先生はどんなアプローチをされているんでしょうか。

「私は応用数学の立場から研究をしています。なかでも基礎的で本質的な部分…本のタイトルにも入れた『生き物の動き・形・流れ』をテーマに取り組んでいます。そもそも数値計算や数値シミュレーションを行うには、大もとの方程式化や数理モデル化をしないといけません。たとえば、細菌が臓器を守っている粘液を突破し、感染させてくる危険性があるのかどうか。それを知るためには、どういう数式を書いて、どうシミュレーションすればいいかを、理論立てたりモデル化したり計算したりすることが必要です。そういった部分を解き明かそうとしています」

『微生物流体力学:生き物の動き・形・流れを探る』(石本健太、サイエンス社)の書影

――なるほど…。そのあたりは「生物ならでは」な部分なんでしょうか。

「工学的にも研究されてきましたが、生き物は自分で泳いでいますので、無機物を動かすのとは違うわけです。ちょっとした『生き物らしさ』が入ったときに、既存の飛行機や車などとまた違った流体力学をつくらなければいけません。数学的な公式や定理を見つけるために私自身、数理理論だけでなく、スーパーコンピュータを使っての大規模数値シミュレーションや実際の生物データの解析、簡単な実験なども行っています」

顕微鏡を用いて微生物の動きを観察する石本先生

――ひと筋縄ではいかなさそうですが、その分、やりがいも大きそうですね。

具体的な現象を調べることで、生き物本来が持つ数学的な性質を抽出

――流体力学で「生き物らしさ」を分析していくのに、数学的なアプローチがほかの手法よりも有効なんでしょうか。

「『帆立貝定理』の話が一番わかりやすいと思います。帆立貝は貝殻を開閉することで泳ぎますが、このような往復運動だと、ミクロの世界では泳ぐことができません。これをナビエ・ストークス方程式からスタートして証明することができます」

帆立貝の遊泳イメージ。帆立貝は、行きと帰りで同じ変形をとる。

ナビエ・ストークス方程式とは…
水や空気(流体)の流れを表す方程式。流体の粘性を考慮する点が特徴。

この方程式は、1845年にジョージ・ガブリエル・ストークスにより導かれた。1822年に方程式を提案したクロード・ルイ・ナビエとは独立に導出したとされている。現在では両者の名前を合わせて、ナビエ・ストークス方程式と呼ばれている。人類史上最も成功した数理モデルのひとつであり、現実社会でも、コロナ禍における飛沫のシミュレーションを作成する際など広く使用されている。

「ちなみになぜ泳げないのかというと、周りの水からの影響があるからです。ミクロの世界では液体の粘性の効果がずっと大きくなるため、仮に私たちが細胞スケールまで小さくなった時には、普通の水の中を泳いでいても『ハチミツの中を泳いでいる』ような状況になります。こういう状況下だと、往復運動では同じ場所を行ったり来たりするだけで移動できません。このことを厳密に示せるんです。絶対に起こらないということを、シミュレーションで証明するのは難しいでしょう?」

――数式であれば、それが証明できると。

「その通りです。となると次に考えるべきは、どうすれば泳げるのか。すると、実際の微生物の泳ぎ方も理解できますし、どんなロボットを設計すればいいかが見えてくるわけです。実際に私たちの体を小さくしてミクロの世界で泳ぐことも、ハチミツの中で泳ぐこともできませんが、式だったりシミュレーションだったり実験だったりを通して、自分の体感として理解することはできる。ミクロの生き物になった気持ちが少しずつわかってくるのは、この研究の面白いところです」

微生物の中には多数の毛(せん毛)を動かして波をつくって泳ぐものも多い。動画のラッパムシの泳ぎも往復運動ではない。

――普通に生きていたら絶対にわからない世界ですもんね。

「一つずつわかることが増えていくのは楽しいです。多くの場合、基礎法則を見つけるというのは、その基礎となる式を出すことだと思いますが、その式を出しても、答えが一つに定まるのか、いくつもあるのかはわかりません。たとえば、箱に入れているとか、パイプの中に入っているとか、それを誰かが押しているとか。ちょっとした状況の違いで流れのパターンが変わると、方程式の解の様子がまったく変わってしまう。だから方程式は一つでも、私たちが目にする方程式の答え、つまり実際に目にする現象はたくさんあるわけです」

――方程式って答えが一つしかないイメージがありましたが、その流体の式自体は変わらなくても、どういう環境下にセッティングするかで変わってくるんですね。

「さらに言えば、『大雑把に解きたい』といった需要もあります。たとえば5万円ほど必要なのか5千円ほど必要なのかを知りたい場合、正確な数字は要りませんよね。流体の計算にしても、ざっくりわかればいいという場面もありますし、きっちり知りたいという場面もある。それぞれの場面に応じた計算の仕方や解き方を考えるのも、私たちの研究の一つです」

――概算を出すためなら、複雑な計算を簡略化できたりもするわけですね。本質を考えるうえで、まずは大まかに理解ができるようなベースをつくるのも、大切なことでしょうし…。

「私が本当にやりたい部分はまさに数学というツールを使って本質を見えるかたちにすることなんですよね。これだけ聞くと、できるだけ抽象的なものを探ろうとしそうですが、アイディアとしては逆で、より具体的な生命現象や物理現象をしっかり調べることで、なぜそれが起こり得ないのか、あるいは起こり得るのかが見えてきます。すると、最終的にあるのはこういう仕組みだろうと、生き物本来が持っている性質を抽出するのが私の役割だと思うんです。『生き物が本来持っている数学を見つける』とも言えるかもしれません」

――具体的なものから本質を見出して普遍化させていくと。そう考えると、ミクロどころかものすごく壮大な世界ですね!

私の研究は、「生き物らしさ」を含んだ新しい流体力学をつくること

――そもそも石本先生が研究者になられたきっかけは何だったのでしょう。

「興味の発端は中学時代です。名字に『石』という漢字がついていることから、石の主要な構成要素であるケイ素に元々関心がありました。中学校で元素周期表を習ったとき、ケイ素が結晶化すると、水晶なら透明、アメシストなら紫、トパーズなら黄色と、それぞれ違う色の石になることに興味を持ちました。調べたところ、不純物が入ることで色が変わるとわかりましたが、なぜかはわからない。その理由を知りたくなったんです。やがて高校生になり、進路について考えた際、化学の先生に『もっといろんなことを知りたい』と相談したところ、理学部を勧められました。そのときに『大学は学問を学ぶところだけど、学問をつくるところでもある。教科書を書くような、新しい学問をつくりなさい』と言われたことが印象に残ってますね」

中学校での演劇の練習風景。

――その一言で、研究者魂に火がついたわけですね。学ぶにあたり、京大を選ばれた理由は何でしょう。

「京大独特の自由な雰囲気に憧れたことがまず一つ。より楽しそうに感じたんですよね。あとは進学する際に専門分野を決めなくていいことも大きくて。京大理学部は、3回生になる際に、数学・物理学・宇宙物理学・地球惑星科学・化学・生物科学といったなかから、自分の専門を決められるのが魅力でした」

――そこから「微生物流体力学」に辿り着いたのは?

「物質の性質を調べるには、基礎となる物理学が必要だと考えて、学部時代は物理学を選んだんですが、出てくる式でなぜ解けるかがわからない。きちんと数学を勉強しないと一生わからない気がして、大学院では数理解析を専攻しました。そこで流体力学をされている山田道夫先生の研究室に入ったんですが、なかなか研究テーマが決まらなかったところ、先生から『生物に興味はないか?』と教えられた生物流体力学という分野が、マジックワードのように響いたんです。しかも『今この分野を始めたら、先駆的な研究者になれる』みたいな言葉に乗せられてしまって(笑)。魚や鳥や昆虫なども研究対象ですが、なかでも微生物を選んだのは、先ほどご説明した『帆立貝定理』がきっちりとは証明されていなかったことに気づいたのがきっかけです。山田先生ご指導のもと、その証明を修士論文にし、総長賞もいただくことができました。長い歴史のなかで進化を遂げてきた生き物の動き方が、物理的、数学的な制約によって決まっているのは非常に面白いと感じています」

帆立貝定理の研究成果を国際会議(イタリア)で発表したという。
イタリアの国際会議、空き時間の一コマ。このときの知り合いが、のちの共同研究者に。

――それで「微生物流体力学」の教科書を出版されたんですから狙い通りですね! 学生時代に感じられた京大の魅力は、今も感じられますか?

「意欲のある学生がのびのび学べるという本質自体は変わっていないように感じます。院生になってから気づいた魅力としては、京大出身の研究者がどの分野にもとても多いこと。京大では研究に邁進するための環境が整えられていますし、専任のスタッフたちが研究を支えてくれています。院生時代から一人の研究者として大人扱いしてもらえるのもいいところ。その分、厳しくもありますが、研究者になるには非常にいい環境ですよ」

博士後期課程の学生のときに会議でポルトガルに行ったときの一枚。

――自分の好きな研究をのびのびできるというのは素敵なことですね。微生物に限らず、今後、研究されたいテーマもあるのでしょうか。

「流体力学を使って現存していない古生物の運動を推測することにも興味がありますし、渦の動きや流れを人間がどう理解しているのかという、認知の部分にも興味を持っています。さらには、成長や自己変形をする生き物と無機物との力学の違いも気になるところ。私の研究は、流体力学に『生き物らしさ』という視点を加えることではないかと捉えています」

――まさに新しい学問をつくる研究なわけですね。最後に、京大生やいつか後輩になる人たちに向けてメッセージをお願いします。

「高校生や大学生の頃って、まだ何者でもない自分がつらいっていう部分があると思うんです。自分にはいったい何ができるのかと。私も将来を悲観するタイプでしたし、不安に思うのは仕方のないこと。学部時代はいろいろ頑張ってみたものの、なかなかうまくいかなかったことも多かったです。大学院に入ってからは、先生にも先輩たちにも恵まれ、おかげさまで教科書を書くという目標も、昨年の出版で実現できました。そもそも、物事はうまくいかなくて当たり前。そのこと自体も楽しめるようになり、目の前のことに取り組んでいけば、いつか訪れるチャンスも生かせるはずです。興味の対象が変わっていくのも普通のことなので、あまりこだわらず、むしろそういう変化を楽しみつつ、今できることを一生懸命やるのが大事かなと思います」

――変化を楽しみ、今を楽しむ気持ちが、次につながるわけですね。ありがとうございました!