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No.59

update.2021.03.25

最強のふたり!「かるた」名人×クイーン対談。-自由に貫く、異端と王道-

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「京大卒業生が競技かるた日本一に輝いた!しかも名人・クイーンの両方で!」

この衝撃的な速報がザッツ・京大編集部に届いたのは、正月気分が抜けきらぬ2021年1月9日。滋賀県・近江神宮にてこの日開催された小倉百人一首競技かるたの日本一を決める決定戦で、本学卒業生の粂原圭太郎さんと山添百合さんが、第67期名人位と第65期クイーン位に輝いたのです。

学生時代は「京都大学かるた会(京都大学の競技かるたサークル)」の後輩・先輩として、京大を初の団体優勝へと導く黄金期を築いた粂原さんと山添さん。現在はお二人とも教育者として活躍されています。そんなお二人に、かるた日本一となった強さの秘密や京大時代の思い出についてインタビュー。塾経営者および京都の名門私学の教師として働く現在についてもうかがいました。(粂原さんの「偏差値95」の逸話も後ほどご紹介!)

旅立ちの季節におくる、「最強」の卒業生対談をお楽しみください!

2021年1月9日に開催された「競技かるた名人位・クイーン位決定戦」で、山添百合さん(左)が第65期クイーン位を獲得し、粂原圭太郎さん(右)が第67期名人位決定戦に勝利し3連覇を達成。

京大で出会った、かるた優等生と異端児

――まずはおめでとうございます! 山添さんはクイーン位の初獲得、粂原名人は3連覇となりました。今のお気持ちを聞かせてください。

山添
クイーン位は子どもの頃からずっとめざしていたものでした。かるたという一番好きなことで、一番になれたことが何より嬉しいです。本当にたくさんの方に指導や応援をいただいていたので、感謝の気持ちでいっぱいです。ただ、まだクイーンになった実感がなくて(笑)。

粂原
僕も最初に名人になったときは半信半疑な気持ちでしたよ。でも、名人3連覇がかかっていた今回は、勝てて嬉しいというより『ほっとした』気持ちが強いかな。というのも対戦相手が10歳も年下で、最年少名人が誕生するかもしれないと注目されていた試合だったので、名人を防衛できて安堵しました。

山添
私の場合は、クイーンになってすぐ緊急事態宣言が出たこともあって、クイーンとしてイベントや試合に一度も出てないんですね。だから「クイーンとしてしっかりしなきゃ」みたいな意識をまだ持ててないのかもしれません。

山添百合さん(左):小学3年生より競技かるたを始め、現在六段。2013年に京都大学文学部を卒業し、現在は洛南高等学校国語科教諭として教鞭をとっています。
粂原圭太郎さん(右):小学5年生より競技かるたを始め、現在八段。2014年に京都大学経済学部を卒業、現在はオンライン個別指導塾「となりにコーチ」代表として受験生指導に当たっています。

粂原
山添さんは「かるた一直線」なタイプで、昔からかるたに対してすごく真面目だったから。クイーンになったからといって特に変化はないのかもしれないですね。

僕は、名人になってから意識がかなり変わりました。「かるたからいろいろもらったから返したいな」という気持ちが生まれてきたのは名人になってからです。名人になる前や学生時代は、そこまでかるたに真面目じゃなかった。

山添
……大学1年生の途中まで、粂原くんはそもそも練習や大会にも全然出ていなかったよね(笑)。

粂原
そうなんですよね(苦笑)。1回生の頃はいろんなことに手を出していたこともあって……。で、ついに同級生のメンバーから電話がかかってきて「山添先輩に代わるから」と。そこで「何で練習にこないの!」って冗談ぽくですけど叱られて、練習場に向かったんだよね。……そう、あのとき雨が降ってたんだよ、思い出した!

山添
当時、私はまだ競技かるたの段位が四段だったから、その上の五段を持つ粂原くんが入部してくれて、すごい喜んでたんです。「京大かるた会が強くなるぞ」って。なのに練習に来ないから(笑)。

粂原
それで呼び出されて、初めて山添さんと試合をしたんですよ。

山添
高校の頃から「群馬にすごく強い男子がいる」って知ってたから、粂原くんとかるたができるのを楽しみにしてたんです。でも、試合を始めたら、変な戦法をしてくるから「なんじゃこりゃ!」って(笑)。ルール的には問題はないものの、かるたのセオリーを無視した攻め方でした。

粂原
山添さんは本当に正統派だから。ちなみに、僕も山添さんのことは知ってたんです。高校のときの僕のライバルだった男の子に、全国大会ですごい勝ち方をしていて。あの彼にあんな勝ち方をするんだ……って印象がすごかった。でも、その時は黒髪長髪でメガネをかけてたから、京大で会ったら茶髪ショートでコンタクト……印象がガラリと変わってて。

山添
自分も3回生あたりから白に近い金髪になってたよね(笑)。

粂原
(笑)。でも、あのときの初めての試合、結局最後まで決着がつかなかったんだよね。というか、最初は僕が勝ってたんだけど、途中で逆転されて負けそうになったところで時間切れになって。

山添
そうだったかな?

粂原
そうそう(笑)。当時は山添先輩に負けることが本当に多かった。悔しいことに。

金髪と茶髪だった大学時代のお二人。今では粂原さんは塾経営者、山添さんは母校の高校教師に。

王道と異端。それぞれの強さの秘密

――お話を聞いていると、なんだかタイプが真逆のようですね。それぞれの強さの秘密をうかがってもいいですか?

山添
粂原くんは、フェイントなのか何なのか、思いがけないところにふわっと手を出してくるというか……変なことをいっぱいする人です(笑)。

粂原
僕のスタイルは「王道」とはまったく違うもの。「相手の嫌がることをやって、相手に弱くなってもらう」というか。相手を見ていろいろやり方を変えてます。

かるたで理想とされるのは「聴いて取る」。つまり、札がわかるまではしっかり聴いて、聴こえたものを取る。でも僕の場合は、音と同時に手を出すような取り方も結構する。「異端」だなんて評されたりしますね。解説の人にも「強いけど、みなさん真似はしないでください」と言われたり(笑)。


【コラム①】競技かるたの基本ルール

競技かるたでは「百人一首」を使用し、下の句が書かれた100枚の札を裏向きにしてかき混ぜ、その中から各自25枚の札を取り、自分の陣地(自陣)に並べます。読み手が上の句の書かれた100枚の札を順に読むので、対戦する2人は読まれた歌の下の句が書かれた札を取り合います。

読まれた札は、自陣のものでも敵陣のものでも取ることができ、敵陣の札を取った際は、自陣の札を1枚「送り札」として敵陣に送ることができます。また、自陣にも敵陣にも並んでいない札を「空札(からふだ)」と呼び、空札が読まれたときに場にある札に触ってしまうとお手つきとなり、相手から1枚札が送られます。相手より先に自陣の札をなくせば勝ちとなります。


山添
例えば「あさぼらけ」から始まる札は「朝ぼらけ 有明の月と……」と「朝ぼらけ 宇治の川霧……」の二首だけだから、「決まり字」を聞いてから間違いなく正しい方を取れるように、2枚を自陣と敵陣に離して置くのがセオリー。それを粂原くんは敵陣にわざと送ったりとかね。

粂原
ああ、それは、攻める力が強いタイプ――それこそ山添さんのような選手が相手だと、離して置いていると自陣の札が読まれたときにまず取れないんだよね。確率が50%・50%になっちゃう。でも二枚とも敵陣に置いておいたら、僕は80%の確率で両方の札を取れる自信があるからそうしてる。その置き方のほうが、相手が戸惑ってやりにくいだろうという計算もあるけど(笑)。

山添
私は、札が分かれて置いてあって、音を聞き分けて正しい方を取る、という方が面白いと思うタイプです。お手つきというミスも発生しやすいけど、それが競技としての面白さかなと。でも、粂原くんはそうじゃないんだよね。

粂原
そうだね。山添さんは僕から見ると、本当に王道中の王道。さらに言えば、攻めの姿勢がめちゃくちゃ強いタイプ。僕は攻守を時と場合に応じて使い分けるけど、山添さんはひたすら攻めまくる(笑)。

山添
確かに、私は「敵陣を攻める」というのを最初から意識してるかな。敵陣を攻めて札を取った方が、送り札で場を支配できるので。場が動いて、流れに乗っていけるように攻めていきます。

粂原
僕は送り札をするときに、相手が嫌がる札や場所を意図的に選ぶんだけど。山添さんはそういうの考えてる?……そこまで考えずに自分の勢いに相手を巻き込んでるように見えるんだけど……。

山添
それは誤解! ちゃんと私のなかに送り札のルールや優先順位があります!(笑) ただ、そういう部分を超えて、送った瞬間に「あ、この札、次に読まれるかも」ってピンとくるときはあるかな。

粂原
なるほど、論理と直感の両方でやっている、だから強いのか(笑)。僕からすると山添さんは確率に合わないようなことをしているように見えるけど、それがハマると流れを持っていかれる。名人になってからも山添さんとは大会で2回あたっているけど、11敗だもんね。


【コラム②】名人&クイーンの好きな一首は?

粂原さんの好きな歌
『滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ』 大納言公任(55番)
滝の水が止まっても素晴らしかったという名声は時を超えて今でも聞こえてくる。この歌のように自分も「粂原さんという人は凄かったね」と語り継がれるような高みを目指していきたいです。

山添さんの好きな歌
『いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににおひぬるかな』 伊勢大輔(61)
1月24日生まれなので「いにしへの」にかけて(笑)。私は7歳のときに百人一首をすべて覚えたのですが、そのときに自分の好きな歌を決めようと思って選んだのがこの句です。


京都大学かるた会の黄金期

――お二人が在籍した時代に、京都大学かるた会は団体戦初優勝を飾ったそうですね。個人戦でも大活躍だったとか。

粂原
そうですね。山添さんと試合をしてからは、みんなが「一緒に団体戦出ようよ」、「練習しようよ」と誘ってくれたこともあって、練習や大会に積極的に参加するようになりました。山添さんとも、全国各地の大会に一緒に出場しました。 僕が1年生、山添さんが2年生だった春に開催された「全国かるた競技松山大会(2011年3月)」で、僕が負けた相手に山添さんが決勝で勝って優勝。

山添
これまでA級で準優勝はしたことがあったんですが、なかなか優勝はできなくて。その松山大会が、私のA級初優勝でした。

粂原
僕も負けてられないなと思って、翌月行われた熊本大会で優勝しました。

粂原さん・山添さんで決勝を争った「椿多摩杯争奪全国かるた大会」。結果は山添さんが優勝。

山添
でも団体戦の優勝はなかなか……。全国には強い大学が多くあって。特に当時は、立命館大学に永世クイーン(※)の楠木早紀さんがいてとにかく強かったんですよ。

※名人位決定戦・クイーン位決定戦ともに5連覇を果たすと「永世」の称号が送られる。楠木さんは15歳から10年間クイーン位に君臨した強敵だった。

粂原
そうそう。大学のかるたサークルにとってのビッグイベントは、大学選手権(全国日本大学かるた選手権)と職域(全国職域学生かるた大会)。僕が2年生のとき、大学選手権で決勝戦まで行ったけど敗れて準優勝だった。

山添
あのときも相手は立命館だったよね。

粂原
京大かるた会が団体戦で優勝したのは、僕が3年生で山添さんが4年生のとき。まず大学選手権で優勝して、職域でも優勝。団体戦を全部、僕たち京都大学かるた会が獲った。

山添
京大かるた会って、私が入部したときはそこまで部員がいなかったんだけど、私と粂原くんの代に部員が増えたよね。経験者もいたけど、初心者から強くなる子も多かったかな。特に私や粂原くんが指導したわけじゃないんだけど、みんなで切磋琢磨して強くなっていった。

粂原
……ま、山添さんは指導というより試合でボコボコにしてましたけどね(笑)。僕の後輩の世代から、映画にもなった競技かるたの漫画の影響で入部希望者がさらに増えたんだけど、そんな新入生たちを山添さんは容赦なく負かしていった(笑)。でもそういうのも含めて、当時の京大かるた会はとにかく楽しい雰囲気があって、和気藹々と練習してたよね。

山添
私は、かるたに関しては論理的な指導ができないから、とにかくみんなとひたすら練習してただけなんだけど(苦笑)。団体戦のための特別な練習法も指導法も特になかったよね。

粂原
でも、大学によっては、新入部員に対してすごくロジカルな教え方をするところもあるみたい。京大の場合は、そもそも自由な感じの大学なんで、かるた会でもそれぞれ自分が思うかるたのやり方をするという感じ。それはそれで苦労するんですけど(笑)。でも、決められたやり方が、誰にでも合うわけではないし。

教育者として、最近のテーマでもあるんだけど、僕は一人一人違ってて当然で「みんなと同じでなくていい」と思うんですよ。なにより「面白い」と思ってやってる人に、嫌々やってる人は勝てないから。山添さんのように、かるたが好きでたまらなくてやってる人が「最強」で、やっぱ頂点にいくよね。

京都大学を団体戦初優勝へと導いた第19回全国日本大学かるた選手権(2012年)。同年の第98回全国職域学生かるた大会[A級の部]でも京都大学は団体戦での優勝を飾りました。 ※写真は2011年大会のもの

教育者として、かるた選手として、思うことと進むこと

――山添さんは卒業後すぐに洛南高等学校に教員として入職。粂原さんは京都大学在学中にオンライン指導塾を起業され、『偏差値95、京大首席合格者が教える京大読書術』などさまざまな著書を出版されています。教育者となった理由や、教育者として活躍されるうえでかるたでの経験が役立っていることがあれば教えてください。

粂原
僕はもともと人に教えるのが好きで、人に教えて何かをわかってもらうことにやりがいを感じるんですね。大学に入って、家庭教師とかクイズ番組出演とかいろいろやるなかで、縁あって本を出版させてもらったりしていて、気付いたら今の仕事をしていた感じです。まだ学生時代の延長線上にいる感じではあるんですが。

塾の仕事にかるたの経験が役立ってることがあるかというと、うーん、双方にいい影響を与えている部分はありますね。

競技かるたは集中と記憶の競技なので、かるた名人である僕が勉強について語ると、塾生に対して説得力があります。また名人戦の時期って受験シーズンと丸かぶりなので、僕が勝てば塾生も「先生に負けないよう頑張ります!」って発奮してくれる。塾生の受験サポートをしつつ、名人戦に備えるというのは肉体的にも精神的にもかなりハードではあるんですが、そういう好循環があるから僕自身も頑張れているところがあります。

山添
私が教育者、というか学校の先生になったのは、母校で働きたかったからです。それ以外の学校で先生になるつもりはありませんでした。

粂原
どういうこと?

山添
私の両親は二人とも小学校の先生なんです。両親の忙しさを見ていたから、「自分は絶対にならないぞ」と心に誓っていたんです(笑)。でも高校時代に3年間お世話になった担任の先生がとても素晴らしい方で。私は塾に通わなかった代わりに、各教科の先生方をしょっちゅう質問攻めにしていたんですが、どの先生も嫌がらず丁寧に放課後の時間を私に費やしてくださって、結果、京都大学に合格することができました。そのご恩を返さなきゃな、と。

粂原
なるほど。かるたが好きだから古典の先生になったわけじゃないんだね。

山添
そうそう。そこは、かるたは関係ない(笑)。

粂原
でも古典の先生をやってるんだから、仕事にかるたが役立ってることは多いんじゃない?

山添
競技かるた部の顧問ではあるけど、授業ではどうかな。授業で古典の文法を説明するのに何か例を出したいときに、ぱっとでてくるのが百人一首だったりはするかな。でも、うーん、すぐには思いつかないです。

粂原
絶対リンクしてるはずだけどな。僕が思うに、山添さんはかるたとの結びつきが強すぎるから、客観視できてないだけだと思う。だって山添さん、一緒に飲むと最後は、必ず小倉百人一首を唱え出すから。そういう人なんですよ、かるたと人生が一体化してる人。

山添
生徒には「古典なんか勉強して将来何の役に立つの?」って質問されてますけど(笑)。でも、……うまく言えませんが、勉強って、役に立つとか立たないとかじゃないんですよね。その「役に立つ、立たない」ということにとらわれ過ぎないでほしいな、というのはありますね。もちろん、知識は問題をクリアする力になるし、知識を応用して考えを広げていけば難しい問題でも糸口が見えてきて答えにつながる。そういう意味での「答えまでたどり着く」という工程や達成感が勉強の楽しさじゃないかなと。

粂原
いろんな考え方がありますが、例えば今は、オンラインゲームとかでも全国ランキングが出て、みんなそれを楽しむわけじゃないですか。受験も同じで、努力すればそれだけ結果が出る、レベルが上がる、というシンプルなゲームだと捉えて楽しめばいい。

ただ、やっぱり先人たちのすごい時間をかけて結実してきた「知」を、凝縮して学ぶことができるのが「勉強」で、それが例えば「受験」っていう機会なんだと思います。それってとても貴重なこと。

山添
そういえば、粂原くんの「偏差値95」ってどうやって取ったの?

粂原
あれは高校1年か2年の時に、漢文か古典の模試で取りました。理論上は偏差値って100超えもありえるんですよ。平均点がすっごく低い試験で100点を取ると、偏差値90とか100になってくる。

山添
そうなんだ。英語が得意だったから英語だと思ってた。

粂原
僕は暗記が好きで中学ぐらいで論語と古文の有名なものをかなり丸暗記してたんですね。でも高校1・2年で古典や漢文を極めてる生徒って少ないから、それで獲れた偏差値です。出版社の編集の方にふと話したら、それが本のタイトルになってしまったんですが(笑)。

――偏差値95にはそんな背景があったんですね。話は変わりますが、お二人は塾経営者・高校教師として働きながら、名人位・クイーン位を獲られました。そのモチベーションはどこにあったのでしょう?

粂原
僕がかるたを続けている大きな要因は、山添さんが京大にいたことですね。実は京都大学に進学した頃は、かるたを続ける気はなかったんです。僕は小学5年生から競技かるたを始めたのですが、高校で自分なりの頂点を極めたと考えていました。京大で、山添さんに呼び出されるまでは(笑)。山添さんや、京大かるた会の仲間との出会いがなければ、一人では名人にはなっていなかったと思います。

山添
私は小学3年生のときに入会した京都府かるた協会(現・京都小倉かるた会)で、荒川裕理さん(2003-2004年クイーン位)にかるたを教えてもらいました。荒川さんは今も現役です。その姿をずっと見てきたので、私にとって社会人になってもかるたを続けることは当たり前のことでしたし、いつか荒川さんと同じようにクイーンになりたいという思いも変わらず持ち続けていました。

働きはじめると、練習時間が取りづらいところも出てくるんですが、その分、1回1回の練習への集中力は上がり、質の高い練習ができるようになったのかもしれません。

粂原
山添さんは社会人になってからより実力が安定してきたと思うよ。

山添
ただ、正直今年の決定戦前はクイーンになりたい思いが溢れすぎていたので、もしかすると生徒たちは「この先生、かるたが好きすぎるけど大丈夫?」って心配していたかも(笑)。

粂原
大丈夫でしょ! うちの塾に、山添さんの学校の生徒さんがいるけど、「山添先生って素敵なんです!」って僕に言ってるよ(笑)。

自由のなかで無為に過ごすなかれ

――最後に、京都大学の後輩やこれから大学をめざす学生たちにメッセージをお願いします。

山添
私が京都大学をめざしたのは「競技かるたサークルがある」というのが一番の理由で……。かるたしか取り柄がない人間なので、役に立つアドバイスとかは難しいなあ(笑)。

でも、生徒に言っているのは、「京大は勉強に集中した4年間もすごせるけど、そうじゃないことにも集中できる、その自由がある大学だ」ということです。私の場合、まさにかるた一色の4年間を謳歌しました。勉強でもそれ以外のことでも、大学生になってやりたいことがあるのであれば、京大はそれができる場所だと思います。

粂原
僕は、いろいろ調べて、勉強以外のことにも自由に取り組むなら京都大学経済学部だと。

昔からいろんなことに手を出すタイプだったんですが、大学時代もかるただけでなく、いろんなサークルに顔を出したり、本を出版したり、家庭教師をやったり。そういう自由のなかで楽しく学んだことが、今、いろんな面で自分を後押ししてくれているように思います。

山添
私はかるたに捧げた大学生活でしたけどね(笑)。

粂原
でもそれでクイーンに到達したわけでしょう? 何かひとつのことに夢中になるのもいい。京大かるた会では徹夜かるたとかしてたよね。

山添
あったね(笑)。大学内でいろんなことをみんながしている。いろんな個性を持つ人がいるけれど、先生も学生もみんながその個性を受け入れている。そこが京大の素敵なところだと思います。

粂原
かるたの面では、僕は今後も王道のかるたを、模範となるかるたをやる気はさらさらないんですよ。僕は僕がやりたいようにやるので。お手本となるかるたは、山添さんのクイーン戦を是非見ていただければ(笑)。僕は、僕のかるたを通じて「こんなかるたがあっても良いんだよ」、「自由にやっていいんだよ」というのを後進に見せられればと考えています。

――王道、異端と個性は違えど、自分らしい生き方を貫くお二人。今日は楽しいお話をありがとうございました!