People

No.139

update.2023.04.26

野球経験ゼロで阪神タイガースに入団!?京大野球部初の専属アナリスト、誕生&羽ばたきヒストリー!

この記事をシェアする

経済学部に入学し、硬式野球部でデータ分析を行う京大初の専属アナリストとなった三原大知さん。4回生には学生コーチとして投手起用も一任され、この春からはアナリストとして阪神タイガースで活躍されています。しかし実は、野球経験がゼロだったというから驚きです。いったいどんな経緯があったのでしょう。直撃インタビューをさせてもらいました!

データを活かせたのは、考えて動くのが好きな部員たちがいたからこそ。

――4年前の春に入学され、京大野球部初の専属アナリストになられたんですよね。どういった活動をされていたのでしょうか。

「集めたさまざまなデータをもとに、一人ひとりの傾向を把握し、最終的には試合でどう戦力となってもらうか、どう活躍してもらうかを中心に考えていくような活動ですね。各ピッチャーの長所や欠点を分析して、良い部分はこう伸ばし、穴の部分はこう補おうといったことを伝えていました。たとえば秋のシーズン終わりの時期は、来年に向けて新しい球種を覚えてもらえるよう、機械で測定しながら投球フォームのクセを矯正していったり。3回生になる頃にはベンチ入りして試合中の助言もするようになり、最後の1年はピッチャーの起用も任せてもらっていました」

――そんな権限まで! データを扱われるようになって、野球部にどんな変化がありましたか。

「選手たちが固定観念にとらわれなくなったように感じています。たとえば変化球であれば、より大きく曲がったほうがいいとイメージされがちですが、それがすべてではないことはデータを見てもわかりますし、ストレートであっても、速球で空振りを奪うだけではなく、自分の特徴を活かす打ち取り方もある。それぞれの持ち味を良いように考える選手が増え、探究心が増していったんじゃないかと思います」

――自分の個性もより見えやすくなったわけですね。アナリストとして意識していたことや、大事にしていることはありましたか。

「一人ひとりの性格や関係性などに合わせて、アプローチの仕方や伝え方を変えるようには意識していました。先輩と後輩でも伝える方法は違いますし、4年間で私の立場も変わっていきましたし。自分の考えをどこまで言うべきかの判断が難しかったんですが、こちら側から押しつけないようには心がけ、選手たちがどう考え、どういうイメージで動いているのか、常に選手の考えを聴くことを大事にしていました」

――コーチングのスキルも問われるポジションですもんね。どういうところにアナリストの面白さを感じていましたか。

「数値をもとに導きだした自分の考えが、人に活かされていく部分ですね。自分が選手に対して伝えたことで、実際にリーグ戦の舞台で結果が出たり、勝利に貢献できたと思えたりしたら、やりがいを感じます。それもひとえに、数字をもとに決めていきやすい土壌があったからこそ。考えて動くのが好きなメンバーばかりですからね。入った段階から自分の存在を受け容れてもらえましたし、データを活かしながら選手自身で考えてもらえたのも、京大ならではかもしれません」

野球部での指導風景

きっかけは新入生勧誘のビラ。自分なりの分析手法を独自で築いていった。

――もともと野球をされていたわけではないということに、とても驚いたんですが…。そもそもなぜ京大硬式野球部のアナリストになられたんでしょう。

「小さい頃はサッカーをやっていたんです。ただ、観るのは野球のほうが好きで、なかでもピッチャーのデータへの興味関心が強くありました。京大に入った時点では、普通に体育会系のクラブへ入ろうと考えていたんですが、たまたまもらった野球部の勧誘ビラの中に、『アナリスト募集』と書かれているのが目にとまって……。しかも野球部のニーズとしては、ピッチャーを見る人を欲しがっていたんですね。自分のやりたいことと求められていることが合致していると思い入部を決めました」

――なるほど、運命的な出会いだったわけですね。でもなぜ、そもそもピッチャーのデータに興味を持たれたんでしょうか。

「昔からピッチャーというポジションが好きだったんですが、中学生頃になるとメジャーリーグがデータを広く大衆向けに公開しはじめ、球速や軌道や回転数などのデータが中継の画面に映し出されるようになりました。ちょうどダルビッシュ投手や田中将大投手、前田健太投手など、日本人選手がメジャーで活躍するようになったタイミングです。それで選手たちのデータに注目していくうちにさらに興味が湧くようになって、高校生頃になると自分でも調べるようになっていきました」

――中学、高校時代から素地ができていたんですね。とはいえ実際に計測されていたわけじゃないですし、入部されてからどうやってアナリストの業務を覚えていったんですか。

「覚えるというより、独自で自分なりの手法を築いていったイメージです。自分が入学する前から、京大硬式野球部にはRapsodo(ラプソード)という、ピッチャーが投げたボールのスピードや回転などを測定する機械が導入されていましたが、当時はうまく使えていない状況でした。それを運用しながらピッチャーを少しでも良くしていこうと。当時監督だった青木(孝守)さんの考えに沿いながら、自分なりに一番いいと思える方法をどんどん取り入れていきました」

――その手法は試行錯誤しながら変わっていったんでしょうか。

「内容は大きく変わっていませんが、3回生でベンチ入りするようになってからは、ピッチャー単体ではなく、バッテリーとして見る傾向が強くなっていきました。入部してからしばらくは、投球のバリエーションを増やすなど、ピッチャーをどう良くしていくかに集中していたんです。でも練習だけでなく試合もカバーするようになったことで、キャッチャーとのコンビネーションもあわせて考慮するようになっていきました。3回生からは同期がメインのキャッチャーになったことも影響していますね。キャッチャーと密に会話し、その考えや要望を踏まえながらピッチャーに話していくことが増えていきました」

野球経験がないことで、固定観念に縛られずデータから考えられた。

――野球経験がゼロだったからこその苦労はありましたか。

「自分の中にはピッチャーが持っている感覚は欠けていますし、実演することができないのはとても難しかったです。感覚では伝えられないので、理論的に説得力のある形で伝えて補うしかないかなと考えていました」

――逆に野球を経験されていなかったからこその強みなどを感じられることはありましたか。

「固定観念に縛られないのは強みだったかなと。野球界には古くからの体質もあり、固定観念が多々あるように思います。私の場合、そういったものに囚われることがないので、データを使っていかに結果を出すかに焦点をあてて考えることは、野球経験者よりやりやすかったかなと思います」

――だからこそ、より柔軟に考えられたのかもしれませんね。ピッチャーの起用まで任されるようになったのは、何かきっかけがあったんでしょうか。

「青木さんが総監督になり、助監督だった近田(怜王)さんが監督に就任されたことが大きいです。3回生のときは、ピッチャーのことは近田さんが担っていて、私がサポートする形で回していました。近田さんにはプロ野球のアナリストになりたいという話をしていたこともあって、監督になったタイミングでピッチャーは全部任せると言ってくださったんです」

――近田監督は三原さんのことを、それだけ信頼なさっていたんですね。

「他のアナリストは野手を担当していて、ピッチャーを見ていたのが私と近田監督だけだったことも大きいですね。一人ひとりの強みや弱みを理解しているところを信用してもらったのではないでしょうか」

近田監督と試合を見守る三原さん

――振り返ってみて、印象深かったのはどの試合ですか。

「一番に思い出すのは、昨年春の関西学院大学との対戦で、途中まで3-0で勝っていたのが逆転され、3-5で負けてしまった試合です。いろいろと迷ったうえで結局、自分のとった行動で負けを導いたのがすごく印象に残っていますし、今でも後悔が強いです。やっぱり何かしら『こうしておけば良かった』ということが起きることが多いので、負けた試合のほうが詳細に覚えています(笑)」

――負けた試合の方が、次に活かす材料が見つかりやすいから、記憶も鮮明なのかもしれませんね。うれしかった試合はどうでしょう。

「大学での最後の試合となった、昨年秋の近畿大学との一戦です。1年下のエースが先発したんですが、立ち上がりで崩れてしまい、交代後に投げたのが4人とも私と同期のピッチャーだったんです。一番いろんなことを伝え、長く一緒に過ごしてきたメンバーたちだったので感慨深くて。必死に粘り、スコアとしては10-9という乱打戦にはなりましたが、最後は勝ちで引退できたのはうれしい記憶です」

――良い思い出で幕を閉じられて良かったですね。

劇的逆転満塁弾でのサヨナラ勝ちに沸く部員たち

大学で行ってきたことが評価され、ピッチャーがメインのアナリストに。

――経済学部での学びでアナリストの業務に役立つことはありましたか。

「正直、勉強面で胸を張って言えることはありませんが(笑)、統計学も学べましたし、数字に携わる分野ですので、活かされた部分もありました。また、学部長の依田(高典)先生からは、意志決定の際、何を一番に優先すべきなのか、自分のなかでしっかり考えて順番をつけるようにとのご助言もいただきました。もちろんその決定で後悔することもあるでしょうけれど、冷静に判断する指針を大事にしていこうと思います」

データ分析の実践性と可能性を示した点が高く評価され、「第4回 京都大学経済学部 100周年記念賞」を授与された三原さん

――プロのアナリストとしてやっていこうと思われたのはいつ頃からですか。

「3回生になった頃からですね。アナリストの楽しさを強く実感できるようになってきていたので。近田監督を通じて阪神タイガースを紹介していただきました。ちょうど京大野球部の水口(創太)が福岡ソフトバンクホークスに育成枠でスカウトされたことでも話題になっていたので、私のことも記事やニュースで取り上げていただく機会が増えていたんです。入団までスムーズに進めたのは、人とのつながりが広がったことも大きかったと思います。幼いときから阪神ファンだったので、ずっと大好きだったチームのために尽力できるのは、純粋にうれしいですね」

――野球を経験していたわけじゃないから、入団は想像もつかなかった未来ですよね。阪神タイガースでは、どんな役割を担われるんですか。

「大学での経験を評価していただき、野球部でやってきたことと近いことをやらせてもらえるとうかがっています。プロ野球の世界でもアナリストという職種ができて、長い年月が経っているわけではありません。未来に向かって切り拓いていかなければいけない部分もあることは確かなので、京大でやってきたことをしっかり活かしていければと思います」

――最後にこれからの目標を教えてください。

「自分が分析している内容に限らず、関わるすべての人から信用される人間になりたいですね。それにもちろん、少しでも勝ちたいですし、その勝ちに貢献できたと思えるようなことをしていきたい。大学時代に優勝はできなかったので、そこを目指せればと思います!」

――貴重なお話をありがとうございました。プロ野球界でのご活躍も期待しています!

三原さん、取材ありがとうございました。